「答え」は何だろう?

問題に対する答え

選択肢から選ぶ答え

私たちは子どもの頃から「試験」というものから刷り込まれております。

答えを知っている人がいる。

答えを出さなければならない。

答えを知らないということは、劣るということ。

試験で点数をとれる人は優等生、そうでない人は劣等生。

(上位者の言うことを聞くことは利口なこと、言うことを聞かないことはダメなこと)

無意識にそう思ってしまうとき、これらはすべて刷り込みの影響です。

試験というのは、他人との比較をするために用いるものではありません。

自分自身の知識の精度を知ることが目的です。

ですので、点数が取れないことを落ち込む必要はありません。

しかも、試験問題そのものが本物でない場合もあります。

他者から与えられた何かにおいて、できたら嬉しい、できないと悔しい、そういった感覚すら刷り込みです。

やりたいから、やっていたら知識がたくさんあった。それだけのことです。

やりたくなかったから、やらなかった。それだけのことです。

勉強はやりたくないなら、やらなければ良いのです。

そして、答えというものは実は必要ありません。ですが、

答えを出す、出さなければならない・・・

答えを知っている人についていかなければ・・・

指導する立場であるから多くを知っておかなければ・・・

そう思われるのも当然です。

なぜなら、上述の通りの刷り込みが効いているからです。

まずは、ここに気が付くことがとても大切です。そして、

自分が生きる道は、自分で決める

そういう気持ちを持つことによって、自分を解放することができます。

社会の多くの刷り込みによって、どれだけ劣るように思えたとしてもそれは幻想です。

そんなことはありえません。

すべての人は同等であり、平等であり、個々の存在そのものが素晴らしいのです。

自分自身の魂にとって、他人や環境からの刷り込みほど当てにならないものはありません。

本当にやりたいことは、役に立つか立たないかでなく、上手かどうかも関係なく、続けてしまうものです。

そして、続けているとそれがどうしても上手になっていきます。

人からどうこう言われるということは、全く関係がありません。

いつでも外側に答えはなく、自分自身が知っているものです。

本当は、どう生きたいのかを自分は知っているものです。

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