「和」 の文化/儒教や仏教、神道との関係
日本人にとって「和」は、当たり前のものです。ですが、それを「言語化する」「説明する」となると少し難しいと思います。
こちらの記事では、日本人に馴染みのある「和」について解説します。
和の心とは
和の思想・和の精神・和の心とは、日本の精神文化や社会特性を説明するときに用いられる言葉です。日本の文化に関するナラティブ(日本人論)の一つです。
「日本民族の精神文化の本質は、個性重視とする精神文化ではなく、集団の秩序と安寧、また礼儀と作法を重視した精神文化である」といったもので、この国民性は一方では、「個々の個性を潰す」「自己表現が下手」と、風潮自体は日本に限られたものではありませんが、国内外でバッシングされる対象になっています。
西洋的な「個人主義」と日本的な「集団主義」は、これからの変化のなか、ゆるやかに融合していくと考えられますが、それでも「和の心」は、世界の中で、日本人の美徳として受け入れられています。
日本では、個性や自由より秩序や安寧を重視する人は「日本人は和の心・精神を持っている民族であり、秩序や安寧を乱すような個性や自由は許されない」と主張して、和を大切にすることがあります。逆に、集団主義を嫌う人は、「遅れた日本民族の本質」として、「進んだ欧米の個人主義」と対比させることにより主張することがあります。
歴史的な背景
十七条憲法
十七条憲法では、第一条と第十条、第十七条にそれぞれ協調の精神が謳われています。第一条の冒頭「和を以て貴しと為し」は非常によく知られており、十七条憲法を作ったとされる聖徳太子や、その思想性によって支えられている天皇(天皇制)・国体(皇国)に対する信仰心とも相まって、日本人の「和」概念の浸透に多大な影響を及ぼし続けています。ちなみに、第十条では「人それぞれ考えに相違があるので、他人と考えが相違しても怒らない」こと、第十七条では「独断に陥らず、他者とよく議論をする」ことが、述べられています。
儒教
十七条憲法は、儒教思想と仏教思想が混合する形で成立しています。第一条に見られる「和」概念の直接の由来は、儒教にあると考えられています。
礼儀・上下関係・敬語
儒教に由来する「礼儀」意識、特に年齢や立場に基づく「上下関係」意識や、それを言語的に表現する「敬語」使用に対する意識などは、「集団主義的な秩序意識・同調圧力」を浸透・機能させるための主たる手段となっており、「和」の思想と不可分な関係にあります。
仏教・神道
十七条憲法は、仏教思想も色濃く反映されており、また聖徳太子自身も「日本仏教」の始祖の一人ともされています。仏教思想自体が平和思想ということもあり、「和の思想」が仏教と結び付けられて語られることがあります。
また、神道も「八百万の神」概念が寛容性を示す概念として提示されつつ、「和の思想」と結び付けられて論じられることがあります。
大和
古来、日本は「倭」(わ、やまと)の名・表記を自称に用いていました。7世紀頃から国号を「日本」へと改め、また旧来の呼称「わ、やまと」の漢字表記として、「和、大和」の表記を用いるようになっていきました。その背景としては、当時の朝廷の意向・思想がありました。