【書籍】メメント・モリ

 

『メメント・モリ』は、藤原新也さんの著書・写真集です。

藤原新也さんは、1944年、福岡県生まれの写真家・作家。

東京藝術大学美術学部油画科中退。

インドを振り出しに、アジア各地を旅する。

『逍遙游記』『西蔵放浪』ほかで、第3回木村伊兵衛 写真賞、『全東洋街道』で第25回毎日芸術賞を受賞。

他に主な著作として『印度放浪』『東京漂流』『アメリカ』 『ディングルの入江』 『渋谷』『コスモスの影にはいつも誰かが 隠れている』『大師』などがあります。

写真集には『南冥』『日本景伊勢』『千年少女』 『俗界富士』『パリの雫』 『沖ノ島』ほか多数。 

 

ちょっとそこのあんた、顔がないですよ

 

いのち、が見えない。 

生きていることの中心がなくなって、ふわふわと綿菓子のように軽く甘く、口で噛むとシュッと溶けてなさけない。 

死ぬことも見えない。 

いつどこでだれがなぜどのように死んだのか、そして、生や死の本来の姿はなにか。 

今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であればあるだけ、人々の目の前から連れ去られ、消える。

街にも家にもテレビにも新聞にも机の上にもポケットの中にもニセモノの生死がいっぱいだ。

本当の死が見えないと本当の生も生きられない。 

等身大の実物の生活をするためには、等身大の実物の生死を感じる意識をたかめなくてはならない。 

死は生の水準器のようなもの。 

死は生のアリバイである。 

 

MÉMENTO-MORI 

この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、 享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語である。

その言葉の傘の下には、わたしのこれまでの生と死に関するささやかな経験と実感がある。

『メメント・モリ』藤原新也 著

 

この本は、写真と文章で「死」について語りかけてきます。

私たちは「死」を想うことで、「生」に対して真摯に向き合い、感謝できるのかもしれません。

この本の初版は、40年以上前の1983年に出版されたものですから、メディアなどで「死」がクリエイトされていること、また「生」が当たり前にもなってしまっている、、、そのような当時の世の中に対して、藤原新也さんが鳴らした警笛だったのではないでしょうか。

時代は移り変わるものですが、それでもその時代の価値観はいまも残っていますし、さらに言えば、輪廻転生を繰り返している私たちは生きているうちに、なんらかの「ズレ」を生じさせてしまうものです。

現代を生きる私たちは、本質からズレてしまったときそれに気づき、創作された何かに没入し過ぎて現実から逃避するのではなく、現実世界をしっかり直視することで、「いま、この瞬間」を大切にして自由に生きることができます。

 

「死」とは、ある意味では大したことではありません。

それは、魂が肉体を脱ぐことです。

「死」は、忌み嫌い、怖れるようなことではありませんし、当然のように誰もが等しく、間違いなく、今回の「生」を終える時が来ます。

そういったことを承知の上で「死を想え」ば、この現実世界・物質世界に来たこと・在ることに対して感謝し、前を向き、その瞬間が訪れる時までは、何があろうともひたすら歩こうと思えます。

この本は、いつかはやってくる最期の瞬間、悔いることのないように、この生を、自分を、大切にしたいと思えるようになる、素晴らしい作品です。

 

参考

メメント・モリ

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