考えない時間をつくる。思考という道具との向き合い方

人は、考える生き物です。

考えること、それはごく自然なことであり、鉱物や植物、動物を含む自然界の中で、人間だけが持つ独特な力でもあります。

動物たちもある程度「考える」ことはできますが、その多くは本能や感覚に基づいて動いています。

私たちの魂が、「人間」という存在を選んでこの世界にやってきたということは、単純に言えば「考える力」を授かったということなのかもしれません。

思考は、縦横無尽に活用できる道具です。

たとえば、痛みを避けるために、あるいは不安や恐れと向き合わずに済ませるために、思考は“回避”の手段として働くことがあります。

また、大きな視点で見れば、その思考が集団を動かし、人々を戦争へと向かわせることすらあるのです。

一方で、私たちがよりよく生きるために、平和の中で幸福を感じながら暮らすために、思考は美しく使うこともできます。

「あの人の気持ちを大切にしたい。でも、私の想いもある。どうすれば、気持ちよく共に生きられるだろう?」

そんな問いかけに、思考はそっと寄り添ってくれます。

「考える」という力は、物質にたとえるなら、まるで包丁のようなものです。

たとえば、誰かに喜んでもらいたくて、愛情を込めて料理を作るとき。

「あの人に食べてもらいたい、私の得意料理をつくろう」

そう思って、まずは包丁でにんじんを切る。

食材を上手に扱えるのは、包丁の使い方を理解しているからです。

包丁は、とても素晴らしい道具です。

けれど、使い方を誤れば、指を切ってしまうこともあるし、もっと極端な場合には人を傷つけるために使われてしまうことさえあります。

私たちが授かったこの「考える力」もまた、同じです。

どのように使うのか、どのように向き合うのか…それを静かに見つめ直すことには、大きな価値があります。

そして、同時にとても大切なのが、「考えない時間」を意識的につくるということです。

料理が好きな人も、プロの料理人も、料理研究家であっても、包丁を一日中握りしめているわけではありません。

それと同じように、思考という道具にも「置いておく時間」が必要なのです。

現代社会では、私たちは意識的にも無意識的にも、絶え間なく情報に触れ、思考を働かせ続けています。

だからこそ、積極的に「考えない時間」を持つこと…それは、あなた自身の生き方を静かに、大きく変えていく力になります。

思考を手放すひとときが、あなたの魂を呼吸させ、本当の静けさとつながるための入り口になるのです。

 

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