【書籍】如是我聞

 

『如是我聞』は、太宰治さんの文学作品です。

太宰治さんは、小説家です。

明治42年6月19日生まれ、昭和23年6月13日死去。

本名は津島修治(つしましゅうじ)。

左翼活動で挫折した後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて、小説作品を次々と発表しました。

主な作品に、「人間失格」「津軽」「走れメロス」などがあり、「斜陽」はベストセラーとなりました。

自己破壊型の私小説作家として知られています。

 

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。

これは、仏人ヴァレリイの呟きらしいが、自分は、この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを、これから毎月、この雑誌(新潮)に、どんなに人からそのために、不愉快がられても、書いて行かなければならぬ、そのような、自分の意思によらぬ「時期」がいよいよ来たようなので、様々の縁故にもお許しをねがい、或いは義絶も思い設け、こんなことは大袈裟とか、或いは気障とか言われ、あの者たちに、顰蹙せられるのは承知の上で、つまり、自分の抗議を書いてみるつもりなのである。

『如是我聞』太宰 治 著

 

当サイトの『本質的な知識・情報は、「嘘でしょ?」「怪しい・・・」というテーマの中に』というコラムでは、太宰治の随筆『如是我聞』から言葉を引用させていただきました。

この作品の真相を深く知るため、改めて太宰の文章に触れ、その重厚な世界に敬意を抱きました。

太宰治の作品は、その深い内省と人間の矛盾を抉る筆致で知られていますが、22歳の頃に『人間失格』を初めて読んだ記憶が鮮明に蘇ります。

きっかけは、俳優の生田斗真さんが主演を務めた映画『人間失格』の試写会に当選したことでした。

映画鑑賞前に原作を手に取り、太宰の言葉に圧倒されながらも、その重さに引き込まれました。

試写会では生田さんのトークを聞き、映画自体も心に残る体験となりました。

当時の私は、どこか重い周波数に飲み込まれ、混沌とした精神状態で日々を過ごしていました。

今振り返れば、その時期は多くの学びと気づきに満ちた時間でもありました。

親しい友人や知人に迷惑をかけながらも、彼らの支えに何度も救われ、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

太宰治の『如是我聞』は、『新潮』1948年3月号および5~7月号に掲載され、同年11月に新潮社から単行本として刊行された随筆です。

この作品は、太宰が先輩作家や知識人たちを痛烈に批判する内容で、時に「悪口」や「愚痴」とも受け取れるほど率直です。

しかし、その言葉の奥には、権威や上下関係に盲目的に従う人間への反発、つまり「批判的精神」が息づいています。

現代にも通じるこの反骨精神は、太宰の正直さや人間性そのものを映し出していると言えるでしょう。

太宰の批判は、決して品の良い言葉遣いではありませんが、その中にこそ真実と正論が宿っています。

彼の言葉は、権威への忠誠心や社会の枠組みに縛られる人間の姿に対する鋭い問いかけです。

この精神を知ったとき、私は太宰に対する親しみと尊敬を新たにしました。

彼の内面には、神聖なものと自我の間で葛藤する深い苦悩があったのではないでしょうか。

その苦悩が、彼を生きづらさへと導いたのかもしれません。

私自身もかつて、似たような葛藤を抱えていました。

だからこそ、太宰の作品に強く惹かれたのでしょう。

一方で、多くの人が自分の本心を抑え、権威や社会の流れに従ってしまうのも無理のないことだと思います。

それぞれが内面の声と向き合い、バランスを取りながら生きていくのは、人生の大きな課題です。

 

それにしても、太宰が『新潮』という場でこのような大胆な批判を連載できたことは、彼の気概と時代の寛容さを物語ります。

『如是我聞』というタイトル自体、仏教の経文に由来する「かくの如く、我聞けり」という言葉からきています。

この言葉は、釈迦の教えを謙虚に受け止める姿勢を示すものですが、太宰はこれを皮肉めいたニュアンスで用いたのでしょう。

志賀直哉はこう言ったが、私はこう考える…そんな風に、太宰は自らの信念を率直に語ります。

『如是我聞』は、批判の言葉を巧みに操りながら、ユーモアと鋭さを織り交ぜた魅力的な作品です。

太宰の声は、現代を生きる私たちにも、権威や常識に縛られず「本当の声」を大切にする勇気を教えてくれます。

 

参考

如是我聞

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