
「私」を大切にするとは、どういうことなのか
「自分を大切にしましょう」。この言葉は、やさしい言葉のように聞こえます。けれど、その言葉を聞いたとき、すぐに頷けないことがあります。自分を大切にしたいと思っていないわけでも、自分を粗末にしたいと思っているわけでもありません。それでも、気づけば自分のことを後回しにして、誰かの都合を優先したり、期待に応えようとしたりしています。疲れているのにまだ大丈夫だと言い聞かせ、本当は違和感があるのに、その感覚をなかったことにしてしまうこともあります。
人は、なぜ「私」を大切にすることがこれほど難しくなるのでしょうか。それは、自分を大切にすることが、単に自分を優先するという話ではないからです。そこには、人がどこに自分の中心を置いて生きているのかという、深い問いがあります。
人は、いつの間にか外側から自分を見ている
人は、自分として生きているようでいて、いつの間にか外側から自分を見るようになります。他者からどう思われるのか、期待に応えられているのか、迷惑をかけていないか、きちんとした人間に見えるか、価値のある人間だと思われているか。そうした視線は、日常の中に静かに入り込んでいます。最初は、社会の中でうまく生きるための感覚だったのかもしれません。人と関わる以上、相手の気持ちを考えることは必要ですし、場に合わせたり、責任を果たしたりすることもあります。
けれど、それが続くうちに、自分の感覚よりも外側の視線の方が強くなっていくことがあります。自分はどう感じているのか、本当は何を望んでいるのか、何に疲れ、何を大切にしたいのか。そうした問いが少しずつ後ろへ下がり、代わりに外側から見た自分が前に出てくるのです。役に立つ自分、期待に応える自分、失敗しない自分、嫌われない自分。そのような自分を保とうとするほど、本来の「私」は静かに見えにくくなっていきます。
「私」を失うというと、自分という存在そのものがなくなるように聞こえるかもしれません。けれど、そうではありません。人は自分の感覚から離れているときも、仕事や家事をこなし、人と話し、笑うこともあります。周囲から見れば、何の問題もなく生活しているように見えることもあるでしょう。それでも、自分の人生を生きているはずなのに、どこか自分のものではないように感じたり、頑張っているのに心の奥が満たされなかったりすることがあります。周囲から見れば問題がなくても、内側では静かに消耗していることがあるのです。
それは、自分という存在が消えたからではありません。自分の感覚よりも、外側の基準を信じる時間が長くなったからなのかもしれません。「私」を失うとは、自分自身がなくなることではなく、自分の感覚から離れたまま、自分ではない基準に沿って生き続けることです。
自分を後回しにすることと、他者を大切にすること
自分を後回しにする人は、必ずしも自分を嫌っているわけではありません。むしろ、真面目で、優しく、責任感が強い人ほど、自分のことを後回しにする場合があります。誰かを困らせたくない、期待に応えたい、役に立ちたい、迷惑をかけたくない、場の空気を乱したくない。そうした思いは、決して悪いものではありません。そこには、人を大切にしたい気持ちや関係を壊したくない気持ち、自分にできることをしたいという誠実さがあります。けれど、その誠実さが、いつの間にか自分の存在を削っていくことがあります。相手を大切にすることと、自分を消すことが同じものになり、誰かを大切にしたいがゆえに「私」を後ろへ下げてしまうのです。そして、そのことに気づかないまま、疲れだけが積み重なっていくことがあります。
一方で、自分を大切にしようとすると、罪悪感が生まれることもあります。自分だけ休んでいいのだろうか、相手の頼みを断ってもいいのだろうか、期待に応えなくてもいいのだろうか。自分の感覚を優先することは、わがままなのではないかと感じるのです。それは、自分を大切にすることと、誰かを大切にしないことが結びついているからかもしれません。けれど、本当にそうなのでしょうか。自分を大切にすることは、相手を軽んじることではありません。自分の感覚を認めることは、相手の存在を否定することではありません。また、疲れていると認めることは責任を放棄することではなく、嫌だと感じたことを受け取ることも、誰かを責めることとは違います。
わがままとは、自分の欲求を相手に押しつけることです。一方で、「私」を大切にすることは、自分の内側で起きていることを無視しないことです。この二つは、似ているようで異なります。自分を消して相手に合わせることは、優しさに見えることがあります。しかし、自分を消し続けた関係には、どこかで無理が生まれます。表面では穏やかに振る舞っていても、内側には疲労や怒り、寂しさが積み重なっていくことがあるからです。「私」を大切にすることは、自分だけのためではありません。人との関わりを、偽りのない場所から結び直すためにも必要なことなのです。
違和感と身体感覚は、「私」に戻る入口になる
自分の感覚から離れているとき、人は違和感を覚えることがあります。何かが違う、このままでいいのだろうか、本当はこうしたいわけではない。そのような思いが、はっきりした言葉にならないまま、胸の奥に小さな引っかかりとして残ることがあります。身体が重くなったり、笑っているのにどこか疲れていたり、その場ではうまく振る舞えても、あとから静かな空虚さがやってきたりすることもあるでしょう。
そうした違和感を、私たちはしばしば邪魔なものとして扱います。気にしすぎだ、考えすぎだ、もっと前向きに考えればいいと、自分の中に生まれた感覚を片づけようとするのです。けれど、違和感は必ずしも消すべきものではありません。それは、内側の「私」がまだ黙っていないということでもあります。もし自分の感覚を完全に見失っていたなら、違和感さえ覚えないかもしれません。何も疑問を持たず、ただ外側の基準に沿って進んでいくこともあるでしょう。違和感があるということは、自分の中にまだ生きている感覚があり、戻る場所が残っているということなのかもしれません。
また、自分の感覚を後回しにし続けた影響は、心だけでなく身体に現れることもあります。疲れが抜けなかったり、呼吸が浅くなったり、肩や胸のあたりが固くなったりすることがあります。眠っても十分に休まらず、何もしていないのに身体が重く感じられることもあるでしょう。もちろん、こうした身体の状態にはさまざまな要因があります。ただ、自分では納得しているつもりでも、身体の感覚には違和感が残っていることがあります。大丈夫だと言い聞かせながら、実際には無理を重ねていることもあるのです。
「私」を大切にするとは、心地よい言葉を自分にかけることだけではありません。身体が発している静かな声を聞くことでもあります。頭ではまだ頑張れると思っていても、身体は休息を求めているかもしれません。その感覚を無視せず、丁寧に受け取ることが、自分自身に戻るための大切な入口になります。
「私」は、役割よりも前にある
人は、親や子、働く人、誰かの友人、社会の一員として、さまざまな役割を生きています。それらの役割は大切なものです。役割を通して人と関わり、責任を果たし、現実の生活を営んでいるからです。けれど、役割が自分そのものになるとき、人は苦しくなることがあります。役に立てない自分には価値がない、期待に応えられない自分はだめだ、きちんとしていない自分は認められない。そのように感じるとき、役割と存在が一つになっています。
しかし、「私」は役割よりも前にあります。何かができるから存在しているのではなく、誰かに認められるから価値があるのでもありません。役割を果たす前から、すでにここにいる存在があります。その場所を忘れたまま役割だけを生きていると、どれほど頑張っても満たされにくくなることがあります。「私」を大切にするとは、役割を捨てることではありません。役割よりも前にある自分を忘れないことです。
そして、「私」に戻るということは、何か特別な状態になることではありません。劇的に人生を変えることでも、誰かと違う自分になることでもないのです。むしろ、それはとても静かなことです。外側に向き続けていた意識を少しだけ自分へ戻し、身体の感覚に気づき、本当はどう感じているのかを受け取る。無理をしていることを認め、何を大切にしたいのかに耳を澄ませる。そのような静かな動きの中で、人は少しずつ自分の中心を思い出していきます。
源とは、遠くにあるものではありません。外側の評価や役割、期待よりも前にある、自分という存在の根です。そこから離れているとき、人は外側の反応に揺れ続けます。けれど、そこへ戻るとき、現実がすぐに変わらなくても、世界との関わり方が変わり始めることがあります。それは逃避ではなく、自分の中心から現実と関わり直すことなのです。
「私」を大切にするとは、存在を置き去りにしないこと
「私」を大切にするとは、自分だけを優先することでも、好きなことだけを選ぶことでも、誰かを拒絶することでもありません。それは、自分の存在を置き去りにしないことです。相手を大切にしながら、自分の感覚も消さない。役割を果たしながら、自分の中心を忘れない。そして、外側の世界と関わりながら、内側の声を無視しない。そのように生きることです。
自分を大切にすることは、何かを足すことではありません。本来そこにある「私」を、もう一度受け取ることです。人は、外側に合わせる中で、自分を失ったように感じることがあります。けれど、「私」はどこかへ消えてしまったわけではありません。違和感や身体の重さ、ふと立ち止まりたくなる感覚、本当はこうしたいという小さな声の中に、自分へ戻るための手がかりが残っていることがあります。
その声を無視せず、自分の存在を後回しにしないこと。そして、自分の中心から、もう一度世界と関わり直すこと。それが、「私」を大切にするということなのです。