もし心が枯れてしまったとしても
ただ自ら美しく咲き誇ること
愛されるために・・・
という思いと、それからの行動について、意識はどこに向いているのでしょうか?
それは自分の外側に向いています。自分という存在を外側の観点から評価する状態になっています。
そういう場合には一般的なイメージの「良い人」を演じてしまっていることがあります。
では、良い人とはどのような人でしょうか?
正しいことを主張する人
親や先生、上司の言いつけを守る人
笑顔が優しい人
弱い者を守る人
人それぞれに、良い人とはこういう人、という像があるのではないでしょうか?
しかし、良い人は本当に存在するのでしょうか?
多くの場合、人は人の一定の面にフォーカスしているだけです。
1カメさん
2カメさん
3カメさん・・・
その人は、どのカメラから見てもあなたが思う「良い人」なのでしょうか。
恋愛では、特にこうしたことが起こりやすいものです。
少女漫画においてよくあるストーリーでは、
見た目がかっこいい男性(好印象の方)の、恐ろしい面を見てしまった場合、そのことが強烈に脳裏に焼き付いてしまい、別のタイミングで優しい面を見て、そのギャップが心理的に作用して好きになるというものがあります。
さらに別のカメラで見たときに、いやだと思うこともあるのです。
そしてさらに別のカメラで見たときに、やっぱりいいと思うこともあるのです。
終盤に向かって、その流れが繰り返されます。
たとえばそのように、様々なカメラの全体像を見ることになって、それでもその人がいいと思うのならそれは愛です。
はっきりと申し上げまして、万人から評価されるような、愛されるような良い人はいません。
ですから、愛されたいという思いそのものが、どこから来ているのか、その根底について知ることが必要となります。もしかすると、
少女漫画のストーリーそのものが、刷り込みのように作用しているのかもしれません。
テレビドラマや映画のストーリーそのものが、刷り込みのように作用しているのかもしれません。
人それぞれに、多くの体験を経て、いまのモノの観方が身についております。
本質的なことをお伝えすれば、
誰もがありのままで愛されています。
あなたの存在そのものが愛です。
あなたは生まれてからずっと、これからも愛されています。
(他人から愛されていることを感じることもとても素敵なことです)
それを起点とすることです。
それでも、もし、心が枯れてしまった時は、ひとまず
自分が愛してやまない何かに焦点を当てること
がコツです。
万人から愛されるような良い人はいません。なれません。
基本的にこういう自分で在ろうと、自分なりに決めて強く生きている人はいます。
一般的な意味での良い人であることを通して、表面的な人間関係を良くして、自分の人生を幸せにすることは・・・できるのでしょうか?
無理をされてはいませんか?
そういったことを自分に問うことが大切です。
周囲のことにあまりとらわれすぎず、
ただ自ら美しく咲き誇ること
を何より大切にして集中することが、あなたの個性に見合う世界の扉を開くことになります。