
源にふれるとき。望む人生を実らせる「果実の木」を選びなおす
私たちは、日々いろいろな「果実」を味わいながら生きています。
それは出来事や感情だったり、人間関係や成果だったり。
そういったものが、日々の体験という形で実っているのだと思います。
そして、もし今のあなたが、その果実を「最高に美味しい」と心から感じているのであれば、今のまま、その木からその果実を収穫し続けていても、何の問題もありません。
でもあるとき、ふと気づくことがあります。
「あれ? 本当は、まったくちがう果実が好きだったかも…」と。
そんな気づきが訪れたとき、人生は静かに、けれど確実に動き始めるのです。
部分=全体という視点
いま手にしている果実は、どんな木から実っているのか。
それに気づくことが、とても大切です。
木は、私たちの「考え方」や「信念」「無意識のパターン」。
そして果実は、それによって形づくられる現実。
違う果実を望んでいるのに、いままでと同じ木に依存しているかぎり、別の果実は実りません。
だからこそ、源─その木の根っこに目を向ける必要があるのです。
知ることから始まる
本質的な知識にふれはじめた最初のうちは、あまり大きな変化を感じないかもしれません。
けれど、知れば知るほど、気づきが増えていきます。
「これは要る」「これはもう要らない」と、自然にわかるようになってきます。
そしてまた、困難に出会います。
「なんでこんなことが起きるんだろう?」
でも、よく思い出してみると
「知りたかったから。よりよく生きたいと願ったから」
その思いが、次の扉を開こうとしているのです。
知識と在り方は、べつもの
知っていることと、実際に「そう在る」ことは、まったく違います。
たとえば、本を読んで「なるほど」と思っても、日常の中でその通りに生きられているとは限りません。
過去の思考パターンや、今まで身につけてきた習慣は、とても根深く、気づかないうちに私たちを引き戻してしまいます。
だから、「知った」だけでは、望む方向へはなかなか進めないこともあるのです。
源にふれるタイミング
そんなとき、ふと立ち止まってみると、「このままじゃ進めない」と感じる瞬間がやってきます。
でも、それは悪いことではなく、源にふれる機会なのです。
源とは、自分がどんな思いで生きてきたか、どんな信念で世界を見てきたか、その根っこにあたるもの。
望む果実を手にしたいのなら、その果実が育つ土壌、木、根…つまり自分の源を見つめ直す必要があります。
それは静かで、やさしく、でもとても力強いプロセスです。
「もっと自分らしく生きたい」
「ほんとうの幸せを感じてみたい」
そう願うとき、きっと、源にふれるための扉が開き始めるはずです。