源にふれる
いまの自分が、その果実を最高に美味しいと思うのであれば、それを収穫し続けることに対して、転換をする必要はありません。
しかし全くちがう果実が好きだと気づいたとき、そのときが重要なのです。
部分=全体です。
その果実が成る木に依存している限り、別の果実を収穫することはできません。
それに気づき、本質的なことを知りはじめます。
本質的な知識を得る初期段階ではほとんど変わりませんが、知識を得れば得るほど「気づき」も多くなります。
要るもの、要らないものも楽にわかるようになってきます。
そしてまた困難に遭遇します。
「知りたかったから。よりよく生きたいと願ったから」
だからこそ、過去の邪魔になっている考え方があらわになってきます。
知識と在り方は別物だと気がつきます。
これまでの自分では、進むことができない、どうすればいいのだろうか。
そういったとき、
源にふれるための機会が訪れます。