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本質的な知識・情報は、「嘘でしょ?」「怪しい・・・」というテーマの中に

人生を「より良く生きたい」「悩みから解放されたい」と願う人が本屋さんに行ったとして、はじめに普通に手を伸ばす本は、おそらく新刊コーナーか、売筋コーナーに置いてあるものだと思います(本屋さんに行き慣れている人は、いつも行くコーナーに行かれると思いますが)。

たとえば自己啓発書であれば、サミュエル・スマイルズ、スティーブン・R・コヴィー、デール・カーネギー、ジョセフ・マーフィー、松下幸之助、苫米地英人、神田昌典、本田健など、有名著者の本を手に取られたり、タイトルに惹かれて最近発売されたものを開いてみて、ザっと目を通すのではないかと思います。

または、自分がいまやっている仕事に関する本です。

単純な話、ほとんどの人が一日の大半の時間・人生の大半を仕事に使うことになりますので、仕事が充実すれば人生は豊かになると思いますよね。

私の場合はお店の運営をしていましたので、上記の本のほかに経営、人材育成、法律、心理学、宗教などの本をよく読んでいました。

それらは小手先の技術から本質まで様々なことが述べられています。

その前段階として、大学時代は理工書と小説をよく読んでおりました。

それ以前、高校時代は健康、トレーニング、栄養、美容などに関心がありました。

それより前は、漫画を読んでいました。

子どもの頃、父がよく本屋に連れて行ってくれていたからなのですが、私は本屋さんに行くのが人生の一部のようになっているのです。

父の本棚には、中国の歴史文学がたくさん並んでいたことを思い出します。

 

・・・他にも様々な本を読み漁り、たどり着いたのはずっと敬遠していたジャンルでした。

それは「精神世界」。

たくさんの本を読んでわかったのは、どのジャンルであっても、良質なものとそうでないものに分かれるということです。

 

前置きが長くなりましたが、今回の記事でお伝えしたいことは、人間や人生、社会に関する根本、本質的なことは「精神世界」の本に書かれているということです。

ですが、はっきり言ってしまえば、あのコーナーは「怪しい」ですよね。

並んでいる本のタイトル自体が、テレビやラジオ、雑誌などの一般的なメディアでほとんど見たことも聞いたこともない言葉ばかりだからです。

信仰や思想の世界ですので、事実とはかけ離れた、筋が通っていないことを真実と述べている著者もいて(「事実」と「真実」は異なり、「真実」というのは、人の認識の数だけ存在します)心眼が磨かれていなければ、「スピリチュアル難民」と呼ばれる人間になりうる恐ろしさもあります。

正直に言えば、少し危険だと思います。

私は昔から本屋に行くと、「精神世界って何だろう?」と思っていました。

子どもの頃から本屋に行くことが趣味のようなものでしたが、様々な段階で、「いま、手にとってはいけない」気がしていました。

怪しいと思いながら、やっと手に取ったのは20代後半になってからでした。

 

私は、点の知識が多くなり、点と点がつながって線になり、線と線がつながって面となり、さらには面と面で立方体になるように・・・と、自然と導かれるようにして精神世界の本にたどり着いたような気がします。

私の一族は、カトリック(キリスト教)の家系ですから、当たり前に「神」という言葉が生まれたときからそばにあり、一般的な方よりも「精神世界」に対する抵抗は少なかったと思いますが、それでも90年代の新興宗教に関する事件などもありましたので、受け入れるまでにかなりの時間がかかったように思います。

(私はキリスト教ではありますが、いまはキリスト教の一般的解釈を離れ、キリストを神とは考えておらず、信仰もしておりません。

キリスト教を否定する意味では全くありませんが、さまざまなことが私個人にとりましては「刷り込み」でした。

たとえば、私の場合「汝の隣人を愛せよ」という言葉を、幼少の頃より受け入れておりました。

この「言葉による、単なる刷り込み」が、20代までの私の人生にかなり多くの苦しみをもたらしました。

たったいま、この「汝の隣人を愛せよ」という言葉をWeb検索してみましたが、私が最も共感できることを、ある御方も言っているようです。

お人によりましてはムッとされるかもしれませんが、刷り込みが解けており、波動のことも理解する現在の私は少し笑ってしまいました。

私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスという人の、「己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せ」という難題一つにかかっていると言ってもいいのである

『如是我聞』 太宰治 著

(「コトバンク」というサイトを閲覧したのですが、上記の引用枠内には書籍名を表示しております)

太宰治さんが仰る通りです。

この「言葉」が刷り込みとして作用していると、真面目な方や繊細な方は、ご自身の波動が下がり現実が悪化していようとも、お人を受容しようと努力してしまうものです。

そして時に、それができない自分自身を責めてしまうようになります。

この言葉自体は「ホンモノ」であり、「人生の本質」であることは変わりませんが、実際には、波動・意識(五次元)のレベルで理解する必要があるのです。

三次元(言葉通り)のご理解のみで、これを実行しようとすれば、あの有名なマザー・テレサのように確実に苦しみます。

もしこれを頑張っていらっしゃる方がこのコラムをお読みになられているのであれば、これは「ふつう、できないことなのだ。不可能」という程度のご理解で良いと私は思います。)

ふつう「精神世界」は、前段階の知識や人生経験、洞察があって、ようやく本当に理解できるような感じだと思います。

また、体感によって理解できなければ意味がありませんので、簡単に手を伸ばしてはいけなかったのだと思います。

 

個人が、よりクリアな観点で情報を仕入れるには、そのために、とにかく多くの情報に触れることも大切です。

私には、「本物の知識」「本当に素晴らしい情報」は、隠されている(埋もれている)ように思えてしまいます。

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