
人は、なぜ「まだ起きていない未来」に苦しむのか|不安はどこから生まれているのか
不安という感情は、とても不思議なものです。
目の前では、まだ何も起きていません。誰かに責められているわけでも、失敗したわけでも、何かを失ったわけでもありません。それなのに、胸が苦しくなり、呼吸が浅くなり、身体が緊張することがあります。
頭の中では、まだ訪れていない未来について、さまざまなことを考えています。失敗したらどうしよう。嫌われたらどうしよう。思いどおりにならなかったらどうしよう。そのような思考が繰り返されるうちに、実際には起きていない出来事が、まるで目の前に迫っているかのように感じられることがあります。
私たちは、まだ経験していない出来事によって、今この瞬間に苦しむことがあるのです。
では、不安とは何なのでしょうか。未来そのものが私たちを苦しめているのでしょうか。それとも、未来を想像し、その想像を現実のように受け取る意識の働きが、不安という体験を生み出しているのでしょうか。
不安は、未来ではなく「いま」の中で生まれている
私たちは不安を感じると、「未来が怖い」と考えることがあります。しかし、未来はまだ訪れていません。実際に何が起こるのかは、そのときになるまで分からないことも多いものです。
それでも私たちは、これから起こるかもしれない出来事を想像し、その結果について考えます。そして、想像した出来事に対して、今この瞬間に感情や身体が反応することがあります。
例えば、過去に経験した失敗を思い出すと、すでに終わった出来事であるにもかかわらず、恥ずかしさや緊張がよみがえることがあります。怖い映画を見ているときにも、画面の中の出来事が自分の身に起きているわけではないのに、身体が緊張することがあるでしょう。
未来について考えるときにも、これと似たことが起こります。まだ失敗していないのに、失敗したときの自分を想像して苦しくなる。まだ相手から拒まれていないのに、拒まれた場面を思い描いて悲しくなる。実際の出来事が起こる前から、その可能性に対して感情が動いているのです。
もちろん、現実に危険が迫っているために不安を感じる場合もあります。また、将来に備える必要がある状況では、不安が具体的な行動につながることもあるでしょう。
しかし、まだ起きていない出来事について苦しんでいるとき、私たちが今まさに体験しているのは、未来の出来事そのものではありません。未来を想像している現在の思考と、それに伴って生まれている感情や身体の反応です。
未来についての不安も、実際に感じているのは、いつも「いま」なのです。
そのことに気づくと、不安の中にいるときにも、想像していることと、現実に起きていることを少しずつ区別できるようになるかもしれません。
不安は自分を守ろうとするが、その物語に苦しむことがある
不安は、必ずしも悪いものではありません。危険を予測したり、失敗を避けるために準備したりすることは、私たちが生活していくうえで大切な働きです。
例えば、大切な仕事を任されたとき、失敗するかもしれないという不安があるからこそ、必要な確認を行うことがあります。初めての場所へ向かうときにも、道に迷うことを心配するから、事前に行き方を調べることがあるでしょう。
そのような不安は、現実に備えるための行動につながっています。しかし、不安が強くなると、準備のために考えていたはずのことが、いつの間にか苦しい想像を繰り返すことへ変わってしまう場合があります。
「きっと失敗する」「どうせうまくいかない」「自分には乗り越えられない」。そのような言葉が頭に浮かぶと、私たちは、それを未来についての確かな予測であるかのように受け取ってしまうことがあります。
けれど、それらは実際に起きた出来事ではありません。これから起こるかもしれない、いくつもの可能性の一つです。
例えば、誰かに自分の考えを伝えようとしたとき、相手に否定される場面を想像することがあります。その想像が強くなると、まだ何も伝えていないのに、相手は自分を受け入れてくれない人だと感じ始めることもあるでしょう。
すると、相手の反応を確かめる前に、自分の考えを伝えることを諦めてしまうかもしれません。未来についての想像が、現在の選択に影響しているのです。
不安が生まれること自体よりも、その不安から生まれた考えを、疑いようのない現実として受け取ってしまうことに、苦しさが重なる場合があります。
だから、不安を感じたときに、その感情をすぐに消そうとする必要はないのでしょう。まず、自分が何を怖れているのか、どのような未来を想像しているのかを見つめてみることです。
それは本当に起きていることなのか。それとも、起きるかもしれないと考えていることなのか。その違いに気づくだけでも、不安が語る物語との関わり方は変わっていくのかもしれません。
未来をコントロールしようとするほど、不安が大きくなることがある
私たちは、不安を感じると、その原因を取り除こうとします。もっと準備をしよう、もっと知識を増やそう、失敗しない方法を考えよう。そのように行動することには、確かな意味があります。
しかし、どれほど準備をしても、未来に起こるすべての出来事を決めることはできません。
自分が十分に努力していても、相手がどう受け取るかは分かりません。綿密に計画を立てていても、予想していなかった出来事が起こることがあります。人との出会いや別れ、社会の変化など、自分の意思だけでは動かせないものも数多くあります。
それにもかかわらず、未来を完全に思いどおりにしようとすると、考えることに終わりがなくなります。まだ足りない準備があるのではないか。見落としている危険があるのではないか。もっと確実な方法があるのではないか。そのように考え続けるうちに、不安をなくすための行動そのものが、新たな不安を生むことがあります。
ここで考えたいのが、「任せる」という姿勢です。
任せるとは、何もしないことでも、人生を諦めることでもありません。自分にできることと、自分には決められないことを区別することです。
私たちには、今できる準備があります。自分の意思で選べる行動があります。大切な人に伝えられる言葉もあれば、目の前の問題に対して取り組めることもあります。
しかし、その先に起こるすべての結果を、自分一人で支配することはできません。
自分にできることを行い、その結果まで握りしめようとする力みを手放していく。それが、任せるということなのだと思います。
私自身、霊的な意味においても、手放すことを大切にしています。自分がすべてを決め、すべてを思いどおりにしなければならないという思いから離れ、起こることを受け取っていく姿勢です。
もちろん、そう考えたからといって、不安がすぐに消えるとは限りません。また、何かに任せていれば、必ず望んだ結果になるということでもありません。
それでも、未来のすべてを自分で管理しなければならないという前提に気づくことは、心の中にある力みを見つめ直す機会になります。
手放すとは、行動をやめることではなく、自分には支配できないものまで支配しようとする思いを緩めていくことなのです。
安心を未来に求め続けるのではなく、いまを生きる
私たちは、安心できる状態が未来にあると思うことがあります。もっとお金があれば安心できる。仕事がうまくいけば安心できる。人から認められれば安心できる。抱えている問題が解決すれば、ようやく落ち着いて暮らせるようになる。
もちろん、生活の条件が整うことによって、不安が軽くなる場合はあります。現実に困っていることがあるなら、その問題に取り組むことも大切です。
しかし、一つの問題が解決したあとに、また別の不安が生まれることもあります。以前は望んでいた状態にたどり着いたはずなのに、今度はそれを失うことが怖くなる場合もあるでしょう。
もし、安心できる条件を未来に求め続けているなら、私たちはいつまでも「まだ安心できない現在」を生きることになるのかもしれません。
では、安心はどこにあるのでしょうか。
それは、未来のことを一切考えなくなった状態ではないと思います。何の問題もなく、すべてが思いどおりになっている状態でもないでしょう。
今この瞬間、自分が何を感じているのかに気づくこと。目の前にある現実を確かめ、自分にできることを行うこと。そして、まだ起きていないことを、すでに起きた現実として扱わないこと。そのような姿勢の中に、安心へつながるものがあるのだと思います。
例えば、明日の仕事について不安を感じているとき、今できる準備があるなら、それを行うことができます。しかし、準備を終えたあとも失敗する場面を繰り返し想像しているなら、今の自分が何をしているのかに気づいてみることです。
未来について考えている自分がいる。不安を感じている身体がある。そして、実際には今ここで生活している自分がいる。そのことを静かに確かめていくのです。
不安がなくならなくても構いません。不安を感じていることと、その不安に従い続けることは、同じではないからです。
私たちは未来について考えることはできますが、未来そのものを今生きることはできません。昨日の出来事を思い出すのも、明日の予定を考えるのも、すべて今この瞬間に起きています。
つまり、私たちが実際に生きている場所は、いつも「いま」なのです。
未来への不安は、自分を守ろうとする働きとして生まれることがあります。しかし、その不安が語る物語を、必ずしも現実として信じ続ける必要はありません。
自分にできることは行い、まだ分からないことは、分からないままにしておく。すべての結果を思いどおりにしようとするのではなく、今の自分にできることへ意識を戻していく。
それは未来を軽く考えることでも、人生を投げ出すことでもありません。未来を大切にしながら、今という人生を置き去りにしないことです。
私たちは、まだ起きていない未来を想像することができます。しかし、想像の中で何度も苦しんだからといって、その未来が確かなものになるわけではありません。
未来は、まだ訪れていません。そして、私たちが実際に触れられる人生は、いつもこの瞬間にあります。
そのことを思い出すとき、未来を支配しようとする力みから少し離れ、今ここにある人生を、もう一度自分自身のものとして生き始めることができるのかもしれません。