Inner Growth

内面の成長・気づきのコラム

ぐるぐるまわる|意識の法則への目覚め

ある時期、私は過去の記憶を何度も行き来していました。

幼少期の記憶。

青年期の記憶。

そして、その時点での現在。

内省を繰り返すなかで、それらの記憶に何度も意識を向け続けていました。

最初は、過去を振り返っているだけのつもりでした。

けれど、しばらくすると奇妙な違和感が生まれ始めました。

記憶ごとに、触れている世界の質感が明らかに違うのです。

幼少期の記憶に意識が向いているときと、青年期の記憶に意識が向いているときとで、目の前の現実そのものが微妙に変化していました。

最初は気のせいだと思いました。

考えすぎているだけだろう。

そう思おうとしました。

しかし、その違和感は日に日に無視できないものになっていきました。

それぞれの記憶には、異なる周波数帯域のようなものがある。

そんな感覚が、少しずつ確信へと変わっていったのです。

そして、さらに奇妙なことが起き始めました。

自分がどの記憶帯域に意識を合わせているかによって、現実に現れる人物や出来事が変わるのです。

空気が変わる。

流れが変わる。

遭遇する人まで変わる。

ある帯域に入っていると感じた瞬間、ふと特定の人物の存在が頭に浮かぶことがありました。

そして、その直後に実際にその人物と遭遇する。

そんな現象が、一度や二度ではなく、何度も起きたのです。

正直、混乱しました。

何が起きているのかわからない。

自分の感覚がおかしくなっているのか。

それとも、いままで見えていなかっただけなのか。

わかりませんでした。

ただ一つ、はっきりしていたことがあります。

目の前の現実は、私が思っていたほど固定されたものではない。

もっと流動的で、もっと繊細で、もっと意識と深く結びついている。

そんな感覚でした。

 

かつての私は、世界をもっと単純なものとして見ていました。

現実は外側にあり、自分はその中で生きている。

起きる出来事に反応しながら、日常を過ごしていく。

そんな感覚でした。

もちろん、その頃にも苦しみはありました。

悩みも葛藤もありました。

けれど、世界の構造そのものを疑う必要はありませんでした。

知らないことで保たれていた安心感が、確かにあったのです。

しかし、一度この領域に触れてしまうと、もう元には戻れません。

見えてしまったものを、見なかったことにはできないからです。

何かが変わってしまった。

けれど、その変化を誰かに説明することもできませんでした。

 

その頃の私は、二つの世界の狭間に立っていました。

ひとつは、時間、お金、社会、役割によって成り立つ現実世界です。

多くの人が共有し、常識として生きている世界。

もうひとつは、意識、波動、エネルギー、そして見えない法則によって動いている世界です。

どちらも現実でした。

どちらかが幻想というわけではありません。

ただ、流れている法則が違って見えました。

その二つをどう理解すればいいのか、まったくわかりませんでした。

心の中では、ぐるぐると問いが回り続けていました。

なぜこんな現象が起きるのか。

なぜ意識によって現実が変化するのか。

なぜ記憶と現実がここまで連動するのか。

考えても答えは出ませんでした。

けれど、考えずにはいられませんでした。

苦しさと混乱の中で、自分自身との対話だけが続いていきました。

 

その時間は、決して楽なものではありませんでした。

けれど、振り返ると必要な時間だったのだと思います。

その混乱の中で、少しずつ見えてきたものがありました。

それは、自分の意識状態が、現実に確かな影響を与えているという事実です。

自分が何を信じ、何を感じ、どのような周波数にいるのか。

それらは単なる内面の問題ではありません。

目の前の世界そのものに影響を与えている。

その法則に気づき始めたとき、世界の見え方は大きく変わりました。

この気づきは、喜びでもあり、不安でもあります。

知れば知るほど、世界はシンプルではなくなっていきます。

けれど同時に、深いところではむしろシンプルなのかもしれません。

外側に見えているものは、内側と切り離されていない。

すべてはつながっている。

ただ、それだけなのかもしれません。

今、私はこの旅路を受け入れています。

まだ完全に理解したわけではありません。

けれど、少しずつ見えてきたものがあります。

立ち止まり、観察し、受け入れること。

その積み重ねの先に、意識の法則は静かに姿を現してくれるのだと思います。

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