メディアを知る
メディアの中で最も身近なテレビでは、毎日がお祭り騒ぎです。
全校集会・運動会や委員会選挙・クラスマッチ・文化祭などの学校行事を、テレビを通して観ているようなものです。
学校側が決めた行事の、教員の方々が映っていないシーンを、私たちは楽しく観ています。
テレビの司会者は学級委員、
他の出演者は生徒
とたとえるとわかりやすいでしょうか。
実際には、映っていない教員がその場を取り仕切っているわけですが、教員の方々もその上層部に取り仕切られています。
そして、その上層部の方々も、さらに上層部の方々に取り仕切られています。
世界の対立の報道に関しましても、基本的な仕組みは同じです。
たとえばウクライナ戦争は、ロシア対ウクライナではないかもしれません。
それをひたすら考えていくと、いま全体として何が起きているのか、何を目的としているのか、
うっすらと理解できるようになります。
そして冷静に事実を知り、さらに自分で調べて考えるようになります。
テレビを観ていると(私はテレビや映画が好きですが)近視眼的になってしまい、楽しさ、喜び、悔しさなどの感情を揺さぶられ、自分の周波数帯を固定されてしまいます。
習慣になれば、意識を固定されているから気づけません。
また、何らかのテーマにおいて多数派と少数派にわかれたとき、多くの人は多数派に安心するようになりますね。
そして○○派と○○派にわかれることで、自然と人々は対立した気持ちを持つようになります。
あちらが悪・劣で、こちらが善・優だ、という風にです。
このようになることを意図してメディアを利用している人がいます。
これは洗脳、刷り込みと言います。
洗脳というのは、以前別の記事でお伝えしました包丁のようなものです。
道具や技術それ自体に善悪・優劣等はありません。
洗脳というのは人間の性質上、生活していれば常に起きていることです。
ですから、本当は選択肢を増やして、自分で選択する必要があるだけですね。
選択するためには、まず知る必要があります。
知らなければ、いつの間にか選択させられていて、その事実に気づけなくなることがあるからです。
「メディアは悪だ」と伝えているのではありません。
より良い人生の選択のためには、さまざまなこと、特に学校教育などで知ることのないようなことを知る必要があるということです。
もちろん、「知る必要がある」というのも選択肢の一つです。