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人は、なぜ自分らしく生きることを怖れるのか|「調和」と「同調」は何が違うのか

私たちは、誰かと共に生きています。

家族がいます。

友人がいます。

学校があります。

職場があります。

社会があります。

人は、一人だけでは生きていけません。

だからこそ、互いを思いやり、支え合い、調和しながら生きることは、とても大切です。

日本には古くから、「和をもって貴しとなす」という言葉があります。

争うことよりも、互いを尊重しながら共に生きる姿勢は、この国が育んできた大切な文化の一つです。

しかし、その美しい価値観は、ときに別の姿へ変わることがあります。

調和が、同調になる。

違いを認め合うことではなく、違ってはいけないという空気になる。

そのとき、人は自分の音を少しずつ小さくしていきます。

では、人はなぜ、自分らしく生きることを怖れてしまうのでしょうか。

 

調和と同調は、似ているようで違う

調和という言葉には、どこか心地よい響きがあります。

互いを尊重する。

助け合う。

違いを認める。

そこには、安心があります。

けれど、同調は少し違います。

目立たないようにする。

空気を読む。

違うことを言わない。

周囲と同じであることを優先する。

一見すると、どちらも争いを避ける行動に見えます。

しかし、その出発点は異なります。

調和は、それぞれの違いがあることを前提にしています。

同調は、その違いを小さくすることで安心を得ようとします。

調和には個性があります。

同調には均一さがあります。

この二つを混同すると、人は「周囲と同じであること」が善だと思い始めます。

 

人は、なぜ自分を隠すようになるのか

子どもの頃を思い出してみると、それぞれが自由な表現をしています。

好きな色を選びます。

好きな遊びに夢中になります。

思ったことを、そのまま口にします。

もちろん、社会の中で生きるためには、相手への配慮やルールも必要です。

しかし成長するにつれて、私たちは別のことも学びます。

嫌われないように。

浮かないように。

変だと思われないように。

失敗しないように。

笑われないように。

こうした経験は、生きる知恵として必要な場面もあります。

けれど、それが積み重なると、人は自分を守るために、本来の感覚を少しずつ奥へしまい始めます。

言いたいことを飲み込む。

好きなことを隠す。

本当は違うと思っていても頷く。

その繰り返しが、自分を守る方法になっていきます。

 

自分らしさは、突然失われるわけではない

「本当の自分が分からない。」

そう感じる人は少なくありません。

けれど、本当の自分がどこかへ消えてしまったわけではありません。

少しずつ見えなくなっていったのです。

評価を優先した日。

期待に応え続けた日。

自分の気持ちより周囲を選んだ日。

その一つひとつは、小さなことだったかもしれません。

しかし、それが積み重なることで、自分の感覚よりも、外側の基準の方が大きくなっていきます。

すると、人は自分が何を望んでいるのかよりも、「どうすれば受け入れられるか」を考えるようになります。

やがて、それが当たり前になります。

自分を失うとは、自分を嫌いになることではありません。

自分よりも外側の声を長く聞き続けることなのかもしれません。

 

「あなたらしさ」は能力ではなく、在り方である

個性というと、多くの人は才能や能力を思い浮かべます。

絵が上手い。

歌が上手い。

話すことが得意。

文章が書ける。

もちろん、それも個性の一つです。

けれど、人らしさは能力だけではありません。

穏やかに話す人。

相手を安心させる人。

物事を丁寧に扱う人。

静かに耳を傾けられる人。

それらもまた、その人だけが持つ響きです。

私たちは能力には気づきやすくても、在り方には気づきにくいものです。

なぜなら、それはあまりにも自然だからです。

自分では当たり前にできることほど、その価値を見落としてしまいます。

 

音楽は、一つの音だけでは成り立たない

オーケストラを思い浮かべてみてください。

もし全員が同じ楽器を演奏し、同じ音だけを鳴らしていたら、そこに豊かな音楽は生まれるでしょうか。

バイオリンがあります。

チェロがあります。

フルートがあります。

打楽器があります。

それぞれ違う音だからこそ、一つの音楽になります。

人も同じではないでしょうか。

全員が同じ考え方を持ち、同じ感じ方をし、同じ人生を歩くことで、本当に豊かな社会になるのでしょうか。

違いがあるから学びがあります。

違いがあるから新しい視点が生まれます。

違いがあるから、自分では見えなかった世界を知ることができます。

調和とは、違いを消すことではありません。

違いを持ったまま共に響くことです。

 

自分の音を取り戻すということ

では、自分らしく生きるとは何でしょうか。

好き勝手に振る舞うことでしょうか。

周囲を気にしないことでしょうか。

そうではありません。

自分の感覚を置き去りにしないことです。

本当はどう感じているのか。

何に喜びを感じるのか。

何に違和感を覚えているのか。

その小さな声を聞き直すことです。

人は、自分の感覚を尊重できるようになると、不思議と他者の感覚も尊重できるようになります。

自分を押し殺しているときほど、人にも同じことを求めやすくなります。

反対に、自分を生きている人は、他者にもその自由を認められます。

それが、本当の意味での調和なのかもしれません。

 

あなたには、あなたの音がある

人は誰もが、それぞれ違う音を持っています。

その音に優劣はありません。

大きい音が優れているわけでもありません。

目立つ音だけが価値を持つわけでもありません。

静かに響く音があります。

力強く響く音があります。

温かく包み込む音があります。

世界を動かすような音があります。

どれも必要です。

だから、自分の音を消して誰かになろうとしなくてもいいのです。

人生とは、誰かの音楽を上手に演奏することではありません。

あなたにしか奏でることのできない音を、少しずつ思い出していく旅です。

その音は、誰かより正しい音ではありません。

誰かより評価されるための音でもありません。

ただ、あなたという存在だからこそ、この世界に響かせることのできる音です。

調和とは、その音を消すことではありません。

互いの違いを失うことでもありません。

一人ひとりが自分の音を大切にしながら、共に一つの世界を響かせていくことです。

もし今、自分らしさが分からなくなっているなら、無理に新しい音を探さなくても大丈夫です。

長い間、小さくしてきた自分の音に、もう一度静かに耳を澄ませてみてください。

そこには、誰とも比べる必要のない、あなた自身の人生が、今も変わらず息づいているのです。

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