
自然か、不自然か
私たちは日々、さまざまな選択や行動を繰り返して生きています。
人間関係、仕事、自己表現、あるいは目標に向かっての努力。
その一つひとつに、「自然さ」と「不自然さ」が潜んでいるように思います。
興味深いことに、物事がうまく進んでいるときには、たいてい「自然さ」があります。
心と体が同じ方向を向いていて、無理がありません。
たとえば、自分の本音に基づいて行動しているとき、結果はどうであれ、不思議と納得感があり、周囲との調和も生まれやすいのです。
呼吸のリズムのように、滞りなく物事が流れていきます。
一方で、心に抵抗を感じながら何かをしているときには、どこかで歯車が狂い始めます。
それは「不自然さ」が入り込んでいるサインです。
たとえば、本心を隠して言葉を選んだり、他人の期待に応えようと自分を偽ったり。
そこには、不安や恐れ、承認欲求といったエゴ的な感情が影を落としているのです。
そうした内面の不一致が心にひずみを生み出し、それがやがて現実にもズレや混乱として表れてきます。
「自然であること」は、怠惰や無責任とは違います。
それはむしろ、自分の内なる声に耳を澄まし、正直であろうとする勇気のことです。
社会のルールや人間関係の中で生きる以上、完全な自由はないかもしれません。
それでも、自分が「自然でいられる選択」は、どんな状況の中にも見つけることができるのではないでしょうか。
何かがうまくいかないとき、「もっと努力が足りないのか」と外側に答えを求めたくなります。
けれども、もしかすると本当に問いかけるべきなのは、「私は今、自然でいられているだろうか?」ということなのかもしれません。
「自然であること」は、自分自身と調和しながら歩むための、最も静かで力強い道しるべなのです。