
人生の意味とは何か?
「人生に意味はあるのか?」
「そもそも人生とは何なのか?」
この問いに対して、一般的な答えは「人それぞれ」であり、あまり深く考えすぎると苦しくなるだけ…というのが現代の常識かもしれません。
確かに、哲学的にどれだけ探究しても、「これが答えだ」と言い切れるものはなく、過去の偉人たちもまた同じ問いに悩み、考え続けていました。
けれど、もし宇宙全体の視点、もっと大きな意識の視点から見るとしたら、人生とは「生きることそのもの」が目的であり、意味そのものなのではないでしょうか。
何かのために生きるのではなく、生きるという体験そのものが、すでに完成された目的であり、幸せそのものである。
それ以上でも、それ以下でもないのです。
人生の意味を、どこか外側にある「正解」として求めるのではなく、自ら創り出すものとして捉えること。
それが、本当の自由です。
なぜなら、人生には絶対的な「正解」などなく、数学のように1+1=2といった明確な答えがある世界ではないからです。
私たちは、自分の人生の意味も目的も、自分自身で決めてよいのです。
何を愛し、何を嫌い、どう感じ、どんな在り方を選ぶのか…そのすべてに、自分の意思を反映することができます。
もし今、窮屈さや行き詰まりを感じているなら、それは外から与えられた制限ではなく、自分の内側にある信念や思い込みが、自らを閉じ込めてしまっているのかもしれません。
「人生は神に至る道である」と言えば、宗教的だと誤解されるかもしれません。
けれど、人が生きることを通じて意識の高次のレベルへと向かっていくという流れは、決して空想ではなく、確かな現実です。
私たちは、個として存在しているようでありながら、実はすべてが繋がっており、分離など一切ありません。
すべては一なるものです。
私は、波動が人から人へと伝わっていく様子を見ることがあります。
高い意識から放たれた波動は、周囲に調和と愛を広げ、逆に荒んだ意識から放たれる波動は、不調和の連鎖を生むこともあります。
その流れを止めることも、また新たに生み出すことも可能です。
こうして世界を見ていると、結局のところ人生の真の目的は「霊的な進歩」以外にないのではないかと感じます。
そしてこの「霊的な進歩」とは、突き詰めれば冒頭で述べたように、
生きることそのものが目的であり、それ自体が幸せであること
に他なりません。
霊的な感覚を持つ人にとっては、これが特別な考えではなく、ごく自然な前提として受け取られていることでしょう。
私たちは一人で歩いているようでいて、実はみんなで歩いています。
そのことの尊さを思い出したとき、私たちは目の前のすべてのものに、美しさや愛を感じることができるようになるのです。