
主観で挑むという覚悟 客観と主観の境界で得た本質的な学び
私はある時期、店舗経営がうまくいき、いま思えばとても恥ずかしいことですが、天狗になっていました。
売上は伸び続け、パートやアルバイトスタッフが主導で店舗運営をできる状態になっていました。
私はほとんど店にいなくても、お店自体は自動的に動き、利益を出し続けていました。
その状況下で、スタッフを集めてマネジメントやコーチングの勉強会を主宰していたのです。
現場に私がいなくとも、問題なく利益が出ていたため、自己投資をする時間を自分に与えました。
それは、今後の経営のために学ぶことを目的とした自己投資でした。
その一環として私は、カリスマ人材育成家と呼ばれる方にお会いする機会を得ました。
その方は、放っている雰囲気がとても独特でした。
輝きがあり、落ち着きがあり、近づくと安心感がありました。
そして、一見悪そうなのですが大きな魅力を感じました。
その方と、他10名ほどの方々と共に食事をする場に参加しました。
そこでは一人一人が、個人的な悩みから社会的なテーマに至るまで幅広く打ち明けていました。
私はその場にいたにもかかわらず、どこか客観的に全体を見ている自分に気づいたのです。
すると、その方は静かに語り始めました。
ある場において、冷静に客観的に見ることはとても重要なことだけど、テーマが決まっている場でのそれは、「斜に構えている」ということになる。
テーマが決まっているときは、他人の意識は関係なくて主観で挑むことも大切だ。
という言葉が、私の胸に深く響きました。
その場にいた他の方には、単なる延長線の話と映ったかもしれません。
しかし、私は即座に、自分に向けられた言葉だと感じました。
後日、その方から個人的にも言葉をいただきました。
自分の全てをさらけ出すなんてことは不可能だ。
それはできない。
というか、私はしようとも思わない。
その時々において、人は変化することが普通だ。
それが魅力と呼ばれる。
ただ、目的に対する芯を貫く姿勢は大事。
時に曲がりくねっても良いから。
松の木の枝は、曲がったところに美しさがあると言われる。
もし何か間違ったとしても、何度でもやり直して辿り着きたい所に行こうとする姿勢や意識が大切だ。
間違っても良いから、そもそも完璧な正しさなんてものは初めからないのだから、時には主観で挑む。
その大切さを知りました。
世の中には、その時点の自分の想像を遥かに超える意識を持った人がたくさんいらっしゃるようです。
そういう人との出会いによって、大きな変化をもたらされることがあります。
変化は、時に残酷で、絶望的に感じられるほどのこともあります。
それでも、いま、この瞬間、目の前の手が届く範囲のことに対して、主観的に向き合ってみることが、素晴らしい世界の扉をひらくきっかけとなるのかもしれません。