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人は、なぜ同じ人生を繰り返してしまうのか|変わらないのは行動ではなく、見ている世界かもしれない

今度こそ変わりたいと思うことがあります。

同じことで悩みたくない。

同じような関係を繰り返したくない。

次は違う選択をしたい。

そう思っているのに、気づけば以前とよく似た場所に戻っています。

相手は違っても、関係の中で感じる苦しさは似ている。

職場を変えても、また自分だけが無理を引き受けている。

新しいことを始めても、途中で「自分には無理だ」と諦めてしまう。

頭では分かっているのに、同じ反応を繰り返してしまう。

そのたびに、人は自分の意志の弱さを疑います。

もっと前向きに考えなければ。

今度こそ行動を変えなければ。

悪い思考を、よい思考に置き換えなければ。

けれど、人生の流れをつくっているのは、表面に浮かぶ一つひとつの思考だけなのでしょうか。

同じ思考が何度も生まれるのだとすれば、その奥には、その思考を自然に生み出している何かがあるはずです。

人は、現実をそのまま見て反応しているとは限りません。

自分の中にすでにある見方を通して現実を受け取り、その見方に沿って考え、選び、行動しています。

人生が同じ場所を巡っているように見えるとき、変わっていないのは行動ではなく、世界を見る位置なのかもしれません。

 

思考は、何もないところから生まれているわけではない

「自分にはできない。」

「どうせ失敗する。」

「人に迷惑をかけてはいけない。」

「もっと頑張らなければ認められない。」

こうした言葉が浮かぶとき、私たちはそれを自分の考えだと思います。

確かに、その思考は自分の内側に生まれています。

けれど、それは本当に、今この瞬間の自分が一から考えたものなのでしょうか。

人の思考には、それまでの体験が流れ込んでいます。

親から繰り返し言われた言葉。

学校で評価された経験。

失敗したときに感じた恥ずかしさ。

誰かに拒まれた記憶。

社会の中で当然とされてきた価値観。

そうしたものが長い時間をかけて重なり、物事を見る前提になっています。

目の前に新しい機会が現れても、「自分には無理だ」という前提があれば、できない理由が先に見えます。

誰かが好意を向けていても、「人はいつか離れていく」という前提があれば、その好意を安心して受け取れません。

休む時間が与えられても、「働いていない自分には価値がない」という前提があれば、休息の中でさえ罪悪感を抱きます。

思考は、現実を見たあとに自由に選ばれているようでいて、実際には、すでにある前提から自然に生まれていることがあります。

だから、思考だけを別の言葉へ置き換えても、元の前提が残っていれば、同じ思考は形を変えて戻ってきます。

 

人は、現実より先に「こういう世界だ」と見ている

同じ出来事に出会っても、人によって受け取り方は異なります。

注意されたとき、それを改善のための言葉として受け取る人がいます。

同じ言葉を、自分の存在を否定されたように感じる人もいます。

予定が変わったとき、新しい流れとして受け取る人がいます。

自分が軽く扱われた証拠だと感じる人もいます。

出来事だけを見れば、そこに最初から一つの意味が固定されているわけではありません。

意味は、その人がどの位置から出来事を見ているかによって変わります。

けれど、私たちは自分の見方を通して世界を見ていることに、なかなか気づきません。

世界がそのように見えているのではなく、世界は実際にそのようなものだと感じるからです。

人は信用できない。

人生は苦労するものだ。

好きなことでは生きていけない。

自分の気持ちより、周囲を優先するべきだ。

それらが一つの見方ではなく、現実そのものに見えているとき、人はその前提の中で選択します。

そして、その選択によって生まれた結果が、もともとの見方をさらに強くします。

人を信用できないために距離を置けば、深い関係は生まれにくくなります。

すると、「やはり人とは分かり合えない」という認識が残ります。

失敗を恐れて挑戦を避ければ、自分にできるという感覚は育ちません。

すると、「やはり自分には何もできない」という思いが強くなります。

人は、見ている世界に沿って行動し、その行動によって、見ている世界を現実として確かめ続けることがあります。

 

同じ人生が繰り返されるのは、過去を生き直しているから

新しい一日を迎えても、私たちがいつも新しい自分として立っているとは限りません。

過去の記憶を持っています。

過去に身につけた反応を持っています。

自分はこういう人間だという像を持っています。

そして、目の前の出来事を、その像に合うように受け取ります。

かつて意見を否定された経験が強く残っていれば、誰かの何気ない質問にも身構えることがあります。

過去に失敗を笑われた経験があれば、まだ何も起きていないのに、自分の考えを口にできなくなることがあります。

以前の関係で深く傷ついたなら、新しく出会った人の中にも、同じ危険を探してしまうことがあります。

今の出来事に反応しているようでいて、実際には過去に反応しているのです。

このとき、過去は記憶として残っているだけではありません。

現在を見る眼差しとして生き続けています。

場所が変わっても、相手が変わっても、同じ苦しさが繰り返されるのは、今の現実の中に過去と同じものがあるからだけではありません。

過去にできた見方を通して、今を見続けているからでもあります。

人生の繰り返しとは、出来事の繰り返しだけではありません。

同じ自分として、世界を見続けることです。

 

「自分らしさ」と思っているものが、自分を縛ることがある

人は、自分について多くのことを知っていると思っています。

私は人付き合いが苦手だ。

私は慎重な性格だ。

私は飽きっぽい。

私は責任感が強い。

私は人の期待を裏切れない。

こうした自己理解は、自分を扱うための手がかりになります。

けれど、それが固定されると、人生の可能性を狭めることがあります。

「私はこういう人間だ」という言葉は、過去の経験をまとめた説明であることが少なくありません。

それは、今この瞬間の自分のすべてではありません。

それでも、自分についての説明を自分そのものだと思うと、その説明に合う選択を繰り返します。

人付き合いが苦手な自分として、人を避ける。

失敗しやすい自分として、挑戦を諦める。

我慢する自分として、断りたいことまで引き受ける。

そして、その結果を見て、「やはり私はこういう人間だ」と確信します。

人は、自分を守るためにつくった自己像によって、自分の動きを制限することがあります。

変わることが難しいのは、行動を変える力がないからではありません。

行動を変えることが、これまで自分だと思っていたものから外れることになるからです。

 

変化を望みながら、変化を怖れるのはなぜか

人は、苦しい状態から抜けたいと思います。

けれど、本当に変化が近づくと、不安になることがあります。

今までとは違う選択をすると、何が起きるか分かりません。

断ったら、嫌われるかもしれません。

挑戦したら、失敗するかもしれません。

自分の感覚を信じたら、周囲と違う道へ進むかもしれません。

苦しさがあっても、慣れた世界には予測可能性があります。

人は、幸福だから同じ場所に留まるとは限りません。

知っている世界だから留まることがあります。

思考パターンが繰り返されるのも、その思考が正しいからだけではありません。

その思考によって見える世界が、慣れ親しんだ世界だからです。

「自分には無理だ」と思えば、挑戦しなくて済みます。

「どうせ分かってもらえない」と思えば、本当の気持ちを見せずに済みます。

「今はまだ準備が足りない」と思えば、失敗する可能性から距離を置けます。

思考には、自分を制限する働きだけでなく、自分を守る働きもあります。

だから、古い思考を責めても、簡単には消えません。

それはかつて、自分が傷つかずに生きるために必要だったものかもしれないからです。

 

思考を変えようとするほど、思考に捕まることがある

苦しい思考に気づくと、人はそれを変えようとします。

否定的に考えてはいけない。

もっと前向きになろう。

自分ならできると思おう。

言葉を変えることで、見えるものが変わることはあります。

それが行動を支えることもあります。

けれど、自分の内側では「できるはずがない」と感じているのに、表面で「私はできる」と繰り返しても、二つの声が争い続けます。

そして、前向きに考えられない自分まで否定するようになります。

思考を変えることが、新しい自己管理になるのです。

大切なのは、どの思考が正しいかをすぐに決めることではありません。

なぜ、この思考がこれほど自然に浮かぶのかを見ることです。

「自分には無理だ」という言葉が浮かんだとき、その言葉を消そうとする前に、何を怖れているのかを見る。

「嫌われてはいけない」と思ったとき、なぜ他者の反応に自分の安全を預けているのかを見る。

「もっと頑張らなければ」と感じたとき、何もしない自分には価値がないと思っていないかを見る。

思考は、取り除くべき異物ではありません。

自分がどのような世界を生きているのかを知らせる入口です。

 

新しいものを加えるより、すでにあるものが見えること

人生を変えようとすると、人は何かを加えようとします。

新しい習慣。

新しい知識。

新しい考え方。

新しい目標。

それらが必要なこともあります。

けれど、ときには何かを加える前に、自分の中にすでに積み重なっているものを見る必要があります。

親の期待に応えることが、自分の望みになっていないか。

社会から評価される人生が、自分の幸福になっていないか。

昔の失敗から生まれた恐れを、今の自分の能力だと思っていないか。

誰かに言われた言葉を、自分の声として繰り返していないか。

人は、余計なものを持っているから動けないことがあります。

能力が足りないからではありません。

やりたいことがないからでもありません。

動こうとするたびに、過去から持ち越した判断や、外側から取り込んだ基準が同時に働くからです。

子どもが何かをしたいと思ったとき、すぐに手を伸ばすことがあります。

うまくできるか。

評価されるか。

将来の役に立つか。

そのような判断がまだ少ないため、興味と行動の間に大きな隔たりがありません。

大人になるにつれて、その間に多くの判断が入ります。

失敗したらどうする。

人からどう見られる。

お金になるのか。

今から始めても遅いのではないか。

自分の素直な動きが消えたのではありません。

その上に、多くの声が重なっているのです。

削るとは、考えを無理に捨てることではありません。

自分のものだと思っていた声が、本当に自分のものなのかを見直すことです。

 

気づくことは、すぐに自由になることではない

自分の前提に気づいたからといって、すぐに反応が消えるわけではありません。

長く繰り返してきたものは、再び現れます。

断ろうと思っても、相手の顔を見れば引き受けてしまうことがあります。

挑戦したいと思っても、身体がすくむことがあります。

自分を信じたいと思っても、過去の声が戻ってくることがあります。

それは、気づきが足りないからではありません。

思考だけでなく、感情や身体も、その生き方を覚えているからです。

だから、変化は新しい考えを一度選べば完成するものではありません。

古い反応が起きたときに、それを以前と同じように自分そのものだと思わずに見られるかどうかです。

またこの考えが出てきた。

また同じ不安が動いている。

また評価を失うことを怖れている。

そのように見られたとき、思考と自分の間にわずかな距離が生まれます。

以前なら自動的に従っていた思考が、一つの反応として見えるようになります。

その距離の中に、これまでとは違う選択が入る余地が生まれます。

 

人生の流れが変わるとき、最初に変わるもの

人生の流れが変わるとき、最初から大きな出来事が起きるとは限りません。

以前なら黙っていた場面で、短い言葉を一つ伝える。

いつもなら自分を責めるところで、責めていることに気づく。

失敗を避けるために諦めていたことを、ほんの少しだけ試してみる。

疲れていても頑張っていた人が、自分の疲れを認める。

外から見れば、小さな違いです。

けれど、その選択は、これまで世界を見ていた位置から少し外れています。

行動の大きさが重要なのではありません。

どの前提から選んでいるかが変わっているのです。

「嫌われてはいけない」という世界から選ぶのか。

「自分の感覚も存在してよい」という世界から選ぶのか。

「失敗すれば価値を失う」という世界から選ぶのか。

「失敗しても自分は失われない」という世界から選ぶのか。

同じような行動に見えても、そこから生まれる人生の質は異なります。

人生の流れとは、外側で起きる出来事の連続だけではありません。

自分がどの位置から出来事と関わり続けているかという、内側の流れでもあります。

 

変わるとは、新しい自分をつくることではない

人は、変わるために新しい自分をつくらなければならないと思うことがあります。

前向きな自分。

行動できる自分。

自信のある自分。

けれど、新しい理想像をつくり、それに自分を合わせようとすれば、また別の「こうあるべき」が始まります。

変化とは、理想の人格を上から重ねることではありません。

これまで自分を覆っていたものが見え、その一つひとつとの同一化がゆるんでいくことです。

私は弱い。

私はできない。

私は認められなければならない。

私は期待に応える人間でなければならない。

そうした言葉を自分そのものだと思っていた状態から、それも自分の中に生まれた一つの認識だったと見えるようになる。

そのとき、これまで見えなかった選択肢が現れます。

新しい可能性が外から与えられたのではありません。

古い見方によって隠れていたものが、見えるようになったのです。

 

人生を動かしているのは、思考よりも深い場所にある

思考は、人生に大きな影響を与えます。

繰り返す思考によって、感情が動き、行動が選ばれ、現実との関わり方が変わります。

けれど、思考だけが人生の始まりではありません。

その思考を生み出している見方があります。

その見方を支えている記憶があります。

その記憶と結びついた感情や身体の反応があります。

そして、それらを自分だと思っている意識があります。

だから、人生を変えることは、悪い思考をよい思考へ交換することだけではありません。

自分が何を当然だと思い、どのような世界を現実だと見ているのかに気づくことです。

人は、現実を生きているようでいて、自分が見ている現実を生きています。

その見方が変わらないままでは、場所や相手や方法を変えても、同じ苦しさが形を変えて現れることがあります。

反対に、見方がほどけ始めると、外側がまだ大きく変わっていなくても、以前とは違う関わり方が始まります。

人生の流れが変わるのは、別の人生を無理につくり始めたときではありません。

これまで唯一の現実だと思っていた世界が、本当に唯一だったのかと見えるようになったときです。

同じ思考が現れても、それに従う以外の場所がある。

同じ恐れが動いても、それを自分のすべてだと思わなくてよい。

過去から続いてきた自分の物語も、存在そのものではない。

そのことが見え始めたとき、人は古い人生を繰り返すだけの存在ではなくなります。

人生が変わるとは、何か新しい考えを強く信じ込むことではありません。

これまで自分と世界を決めていた見方が静かにほどけ、その奥から、まだ選ばれていなかった生き方が現れてくることなのです。

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