Contemplation

思索のじかん

『メタモルフォーゼの縁側』 好きという震えが、世界を新しく塗り替える

古い家の縁側に、初夏のような光が落ちています。

十七歳の少女と、七十五歳の婦人。

その二人の間に、一冊のBL(ボーイズ・ラブ)漫画が置かれている。

ただそれだけの光景が、なぜこれほどまでに、胸の奥を静かに揺らすのでしょうか。

年齢も、歩んできた時間の厚みも違う。

その瞬間の純度を見つめていると、自分を縛っていたいくつもの硬い殻が、音もなく解けていくのを感じます。

本来なら交わるはずのなかった二つの軌道が、ただ「好き」という、名づけようのない一点で重なり合う。

私たちはいつの間にか、「正解」や「効率」という冷たい物差しで、自分の心を測るようになってしまいます。

「これをやって、何になるのだろう」

「今さら、自分なんかが」

そうやって理由を探すたび、心は次第に色を失い、世界はただの無機質な記号へと変わっていく。

けれど、慣れない手つきでページをめくる、あの婦人の瞳。

そこにあるのは、効率の良さでも、正解への到達でもありませんでした。

それは、長い月日の中でいつの間にか眠らせていた、自分という存在のいちばん柔らかい部分が、ふたたび外の空気に触れた瞬間の、震えるような輝き。

そんなひそやかなメタモルフォーゼ(変容)が、縁側のひだまりの中で、音もなく始まっていました。

誰かに評価されるためでも、何かの役に立つためでもない。

ただ、自分の魂が、その色を、その線を、その言葉を求めているという、圧倒的な事実。

その震えを否定せず、そのまま手のひらで包み込むとき、人は初めて、自分を閉じ込めていた見えない壁の向こう側へと、一歩を踏み出せるのかもしれません。

震える手で白い紙にペンを走らせる、少女の横顔。

完璧なものを作ろうとするのではなく、自分の内側に生まれた、あたたかな熱を、どうにかしてこの世界に手渡したいという切実な願い。

技術がたどたどしくても、不揃いであっても。

そこには、借り物ではない「自分だけの呼吸」が宿っています。

インクで手を汚し、一枚の絵を仕上げていくそのプロセスは、単なる作品づくりではなく、自分という「意志」を、もう一度新しく結び直す儀式のようでもありました。

家の内でもなく、外でもない。「縁側」という曖昧で優しい場所。

そこでは、昨日までの後悔も、明日への不安も、柔らかい光の中に溶けていきます。

人生において、自分の本当の感覚に立ち返るのに、遅すぎるということはない。

縁側を渡る風が、今もどこかで、新しい誰かの「目覚め」を優しく待っています。

鑑賞を終えたあと、いつもの散歩道の景色が、ほんの少しだけ輝きを増して見えました。

自分のなかに宿る、小さな「好き」という震え。

それを、未熟なまま、不揃いなまま、そっと抱きしめてみる。

そのひそやかな肯定が、やがて自分の生きる世界を、あたたかい光で塗り替えていく。

白磁のカップを温めながら、この新しく、確かな手触りを、掌の中でそっと確かめています。

 

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