科学や権威を妄信してはいけない
私たちの世界では「科学的」という言葉は、
問答無用なほどに信じられています。
科学で解明されていることは、
とても素晴らしいことですね。
ですが、科学でわかっていることは、
実はこの宇宙の5%程度だということが知らされています。
それだけわかっていれば、たとえば無知であることを恥じる必要はないと理解できます。
知らないことを恥ずかしいと思ってしまうとき、それは(学校教育のすべてを否定する意味ではありませんが事実として)学校教育の刷り込みが効いています。
知らなければ、知ればいいだけです。
知りたくなければ、知らなくていいのです。
ただそれだけのことです。
たくさんのことを知っていることが優秀であるというのは刷り込みです。
また科学を含む何事もそうですが、論理というものは「後付け」によって成り立ちます。
論理は物事の正当化を容易にします。
たとえば、「科学的」「○○監修」「○○の専門家が~」というのは、
実は単に、
商品・サービスを販売するための言葉
である場合もあります。
科学で解明されていることはとても素晴らしいことです。
ただ同時に、未だわかっていないことの方が
圧倒的に多いことを、
私たちは心に刻んでおくべきなのです。
それを理解しておけば、
様々なことに対して、素直な「疑問」を持てるようになります。
停止していた思考が動き始めます。
さらに、思考停止次元を超えたところで考えてみると
世の中で「奇跡」と呼ばれることは、
いまの科学では解明されていない
(または、解明されているけれど知らされていない)
「何か」である
ということがわかりはじめます。
「奇跡」そのものは事実であり、
何らかの「法則」が働いていることを意味しています。
参考