Contemplation

思索のじかん

『にんげんっていいな』 異界から眺める、体温という名の奇跡

夕焼け小焼けの向こう側。

山の端に日が落ちて、世界が昼と夜の「境目」に溶けていくとき。

物語を語り終えた生き物たちは、人間の住む里の灯りを、少し離れた場所から見つめています。

あたたかいごはん。

ほかほかの、お風呂。

そして、帰る場所で待っている、自分を呼ぶ「名前」の声。

それは、月の世界や深い森の静寂に比べれば、あまりにも小さく、儚い灯火に過ぎません。

けれど、その小さな「生活」の営みの中にこそ、この宇宙で最も尊い、剥き出しの体温が宿っています。

「にんげんって、いいな」

その言葉を呟くのは、人間自身ではありません。

人間ではない「外側の存在」が、私たちの不完全で、ままならない日々の中に、言いようのない美しさを見出している。

お尻を出して、笑い合って、眠る。

そんな、動物たちと地続きの野性味あふれる営みを、「いいな」と肯定する眼差し。

そこには、正しさや業績で自分を裁く冷徹な物差しはありません。

ただ、肉体を持って、誰かと触れ合い、この地上を這い回って生きているという事実への、深い受容だけがあります。

かつて、かぐや姫が月へ還るときに、あえて忘れまいとした「汚れ」の正体は、きっとこの歌が歌う「体温」のことだったのでしょう。

私たちは、自分という存在を、もっと高尚で、清らかなものに仕立て上げようと背伸びをしてしまいます。

けれど、本当の救いは、そんな「型」の外側にあります。

泥にまみれ、笑い、泣き、そしていつかは土に還っていく。

その、あまりにも「具体的」で「限定的」な人生のひとときが、実は宇宙の側から見れば、羨むほどに眩しい奇跡であるということ。

子供たちの歌声が響く、あの短い旋律。

それは、私たちがどれほど自分を損なわれた存在だと思い込んでも、「それでも、あなたはここにいていいのだ」と、異界の友たちが送ってくれる、最も優しい肯定のメッセージなのかもしれません。

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