Quiet Signals

日常の観察・問いの記録

ざわめきのゆくえ

何かあったわけではないのに、胸の奥が静かにざわつく日があります。

理由は思い当たらない。

それでも、確かに何かが動いている。

以前の私は、その感覚を早く消そうとしていました。

気分転換をしたり、忙しさで紛らわせたり、答えを探したり。

けれど、そのたびに気づきます。

ざわめきは、消そうとするほど遠ざかるのではなく、見てもらえるのを待っているのだと。

だから最近は、少しだけ立ち止まります。

風の音を聞きます。

木々が揺れる様子を眺めます。

窓から差し込む光が、少しずつ床を移動していくのを見ています。

何かを解決するためではありません。

ただ、自分の内側で起きていることを急いで判断しないためです。

すると、不思議なことがあります。

ざわめきは、敵ではありませんでした。

それは、「何かがおかしい」と知らせる警報でもなく、「早く解決しなさい」という命令でもありません。

まだ言葉になっていない何かが、静かに扉を叩いていただけでした。

私たちは、答えを探すことには慣れています。

けれど、問いと一緒にいることには、あまり慣れていません。

だからこそ、ときどき思います。

あのざわめきは、本当に消すものだったのでしょうか。

それとも、新しい何かが生まれる前にだけ訪れる、小さな合図だったのでしょうか。

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