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日常の観察・問いの記録

『かぐや姫の物語』|この地上の「汚れ」という名の、生の輝き

月の世界は、清らかで、欠けることのない場所として描かれます。

そこには苦しみも、涙も、そして「死」という終わりさえありません。

けれど、かぐや姫は、その世界ではなく、この地上へと降りてきました。

彼女が求めていたのは、完璧な世界ではなかったように思います。

山を駆け回り、泥だらけになり、風を受けながら笑い合う。

頬をなでる風の冷たさや、草の匂い、季節が移ろう景色。

そうした一つひとつが、「生きる」ということだったのではないでしょうか。

けれど地上で彼女を待っていたのは、「高貴な姫」として生きることでした。

立派な着物。

大きな屋敷。

次々と現れる求婚者たち。

誰もが彼女を大切にしようとしていました。

それでも、その世界で息をするたび、かぐや姫は少しずつ自由を失っていくように見えます。

彼らが見ていたのは、本当の彼女だったのでしょうか。

それとも、「かぐや姫」という名に与えられた価値だったのでしょうか。

物語の中で私が何度も思い返すのは、幼い頃、山を駆け回っていた時間です。

何も持たず、何者でもなく、ただ笑っていたあの時間。

そして、捨丸とともに空を飛ぶ場面。

あの一瞬だけ、かぐや姫は肩書きも役割もなく、一人の人間として自由に息をしていたように感じました。

私たちは、人生に正しさや完璧さを求めてしまいます。

けれど、かぐや姫が最後まで抱きしめようとしていたのは、この世界の「汚れ」だったのではないでしょうか。

悲しみも、迷いも、届かなかった想いも、すべてを含めて生きること。

だからこそ、最後に月へ帰る場面で流したあの涙が、これほど深く心に残るのかもしれません。

あの涙は、地上を離れる悲しみだったのでしょうか。

それとも、一度でもこの世界を生きることができた喜びだったのでしょうか。

-- 高畑勲監督『かぐや姫の物語』を観て

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