非線形領域について
こちらの記事は、私自身の「非線形領域」に関する気づきを、当時の理解で書いたものです。通常、人間が認識するような「原因と結果」という概念は存在しないことを伝えています。「非線形」というのは科学の言葉ですが、ここでの「非線形領域」とはシンプルに「意識の世界」「霊的世界」と言えます。つまりは物質次元における知覚や認識を超えた領域のことです。
この記事を書く少し前の時期から約4年間、私はすべての人が訓練次第でそういった体感を得ることができるのだと思っていました。ですが、『I〈わたし〉真実と主観性』『パワーか、フォースか』という書籍を何度も読み返したことで、これはある意識レベルにおいて認識されるようになる主観的感覚であることや、私が意識的に行なっている(ように思える)ことはその意識レベルに付随した行動であること、多くの人は霊性・スピリチュアリティについて理解せずに一生を終える場合には、意識レベルが平均で5ポイント程度しか上昇しないことなどがわかりました。
つまり私は真実を伝えていますが、これは誰もが努力すれば確実に出来ると言えることではないようです。この他のいくらかのコラム記事に関しましても同様です。もしあなたが体感的に理解しながら、当サイトのコラムの多くに共感されているとすれば、私の個人的体験と『I〈わたし〉真実と主観性』の内容から考えると、意識レベル600付近にいらっしゃるのだと思います。その理由は、私自身が「過去生を思い出すことができる」とされている意識レベル600以上の特徴に該当することと、この宇宙は意識の法則・シンクロニシティ、または引き寄せの法則が働いているからです。ちなみに過去生を思い出すことは、自分自身が今世で経験していることのいくらかの違和感に対する理解に役立ちましたが、それ以上のことはありません。
「非線形領域」については、理性・知性の領域である意識レベル400台を超えて、愛の領域である500台に入った人が、献身的に霊的な努力をするか、もしくは何らかの拍子に認識できるようになります。念のために付け加えますが、これは優劣ではなく「ちがい」であり、選民思想的なことでもありません。たとえるなら、水が温度により固体・液体・気体の三相に変化するようなもので、氷も水も水蒸気もすべて水であることには変わらず、単に状態が異なるだけ、というような意味です。わかりたい人ができる限り正確に知っていただけるようにと思い、このようにお伝えさせていただいております。
私は、以前は「対面でのご相談」を辞めてからも、当サイトを通してしぶとく「メールでのご相談」は個別記事を作成して受け付けておりました。ですが、上記の通りすべての人が訓練次第で『確実に』出来ると言い切れるわけではなく、当人が献身的に霊的な努力をする意志があるかどうかが非常に重要で、それもかなりの個人差があることを理解できました。またサイト制作開始当初の意図は現状と異なり、実はビジネス寄りのものを作ろうとしていたのですが、コラムの内容は私の意識の変化に応じて、ほとんど自動的に霊性・スピリチュアリティの方面に偏ってしまいましたので、正直そのような領域についてご相談をお受けすることはどうなのかと思い至りました。
※ たとえば、テーマが「ダイエット」であったとしても結果が出ることが『確実』とは言えません。それでもたくさんの人がコーチやトレーナーを雇って努力します。ダイエットは、そもそも「太っている」という事実を視覚認識によって自覚できますし、その結果は自他ともに視覚認識できますが、「霊性」については中々そうはいきません。「ダイエット」とちがって、「霊性」「非線形領域」というテーマは当人の主観に依存しますし、その努力の進み具合を管理できるのは当人だけです。なぜかというと、個々それぞれの人生における一瞬一瞬の自我の表出により、思考と嗜好すら変化しているからです。
たとえば、Aさんのaという自我はチョコレートが大好きだと言っていたが、bという自我はチョコレートに反応もしない、ということも起きています。また、自我aと自我bでは、その次元自体が変わっているので、Aさんを認識する他人の思考と嗜好も同時に変更され、家族くらい心的距離が近い人間であったとしても、それに気づくことができないことがあります。これは、もう一段高い視点から言えば、すべて幻想なのですが、その自我への気づきがないとき、人はネガティブな行動・現象を繰り返してしまいます。もちろんですが、その逆のポジティブな行動・現象の繰り返しも然りで、その両方をカルマといいます。良いカルマ・悪いカルマというのは、当人の立ち位置や状況による判断であり、実際にはそれは自動的に起きているだけです。
このようなことを体感で知るには、「手放し・明け渡し」を継続することと、前提として「自覚」「気づき」が必要です。
人間の意識は、歴史を通じて非常にゆっくりと前進してきました。しかし、今後は加速化し、霊性はより一般的なものとして普及するのではないかと思います。ビジネス界でさえも、霊的価値を含むことによって収益が上がることを発見し、それがより健全な最終決算に反映されます。
繁栄とはドルだけで測るものではなく、どれだけ自分が喜びをもって参加できたかにもよります。霊的な価値観は、特定の宗教に属するものではなく、明白なことを単に肯定することにあります。たとえば、わたしたちが従業員を保護するのは、彼らを気にかけているからであり、そうしなければ違反行為となり、労働安全衛生局に罰金を課せられるからではありません。
デヴィッド・R・ホーキンズ 著『I〈わたし〉真実と主観性』
ビジネス系自己啓発書の中には、事業や投資での繁栄をもたらす目的で、霊的ワークである「手放し・明け渡し」の必要性を説いているものがあります。たとえば、ロバート・シャインフェルド 著、本田 健 訳の『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法 勝てないゲームから自由になるための刺激的な戦略』や『ビジネスゲームから自由になる法 絶対勝てない幻想のゲームからの脱出マニュアル』などの書籍が当てはまります。このような内容は、日本人の平均である意識レベル400台の理性・知性による理解ではとても信じ難いことかもしれません。しかし上記引用文は、キネシオロジーテストによる真実度の測定結果が999(上限数値は1000)の書籍『I〈わたし〉真実と主観性』の文章ですので、霊的なことにより繁栄をもたらせることは、理性・知性で理解することはできませんが、真実だということになります。
霊性について学ぶことは、このような意味でも人々に大きな報酬と恩恵をもたらす可能性を秘めています。上記引用文の「霊的価値を含む」とは、たとえば、「愛を基盤として」商品企画や組織作り、サービスなどを行ない、それを社内外両面に対して自然な形で表現することだと思います。そのためには、まず経営者や幹部などのリーダー層の人々が霊性を高める必要があります。
私の場合はさまざまなことを学んだ上で、霊性・スピリチュアリティに深く傾倒していきました。そして、霊性の学びとは、神・真理・愛の学びにあたりますから、これからも伝え続けるのであれば、できるだけ分け隔てなくお伝えする必要があると思うようになりました。それともう一つ、私が心から喜びをもって社会に参加できることは、啓発を目的とした文章の読み書きだと気づいたのです。と言うよりも本当は、集合意識の働きかけ・高次の意思によって動かされていることを感じています。
特に上記の意思によって、個別でご相談・ご質問にお応えするサービスは完全に辞めることにしました。またこの決断に伴って、過去のコラムのいくつかに文章を付け加えたり、ビジネス系コラムのいくつかを削除致しました。これまでに個別相談で「非線形領域」についても踏み込むことになりお伝えさせていただいた、ご縁がありました方には心から感謝しております。ありがとうございました。
さいごに、ご縁がありましたお客様だけでなく、上記のことを承知の上で、それでも霊的な学習と実践・訓練を継続される意志のある方にお伝えさせていただきます。「瞑想」「自我との同一化に気づくこと」「常に周囲を観察し、感じること」「手放し・明け渡し・キャンセル」「意識を向ける物事を変えること」「感謝」「ノンジャッジ」「いまに集中すること」などをできる限り習慣にされると良いと思います。いくらか「浄化法」も取り入れると、なお良いです。
さらに、この道において大切したほうが良いと思う考え方を、再度『I〈わたし〉真実と主観性』から引用させていただきます。
すべての霊的な進化は贈り物です。謙虚に感謝することによって、プライドを排斥することができます。
デヴィッド・R・ホーキンズ 著『I〈わたし〉真実と主観性』
あなたがいつも幸せでありますことを、お祈りしております。