
刻まれた足跡|履き潰された一足が語る、私の履歴
玄関に置かれた一足の靴を見ていました。
新品だった頃の輪郭は、もう残っていません。
革は柔らかくなり、踵は少しだけ外側へ傾き、歩き方の癖が静かに刻まれています。
私たちは、新しいものに価値を見出します。
傷のない表面。
均整の取れた形。
整えられた美しさ。
けれど、使い込まれた靴を見ていると、別のことを考えます。
人は、本当に「何も刻まれていないもの」に価値を感じているのでしょうか。
それとも、自分の時間が刻まれたものに、どこか安堵を覚えているのでしょうか。
靴は歩いた距離を語りません。
どこへ行ったのかも語りません。
けれど、その皺や擦り減り方には、その人だけの歩みが残っています。
右へ少し重心を預ける癖。
立ち止まることの多かった日々。
雨の日も、晴れの日も、黙って支え続けた時間。
そうしたものは、靴の底に静かに刻まれています。
人もまた、同じなのかもしれません。
私たちは、自分についた傷や迷いを、できるだけ消そうとします。
元の形へ戻ろうとします。
けれど、本当にその人らしさが宿るのは、変わらなかった部分ではなく、この世界と触れ合った痕跡なのではないでしょうか。
生きるということは、何も残さないことではありません。
世界と触れ合い、その都度、少しずつ形を変えていくことです。
だから、履き潰された靴を見ると、美しさとは整った形ではなく、時間が刻まれた形なのだと思えてきます。
やがてその靴は役目を終えるでしょう。
けれど、そこに刻まれた歩みまで消えるわけではありません。
私たちは今日も、新しい一歩を踏み出しながら、自分という履歴を静かに刻み続けているのです。