Inner Growth

内面の成長・気づきのコラム

なぜ結論から話さなくなったのか 問いから始まる理解への道筋

過去の記事を読むと、今よりもさらに、抽象的な言葉が多く出てきていたことに気づきます。

文化。

思想。

資本主義。

意識。

波動。

自由。

そうした言葉を使いながら、自分なりに見えていたことを書いていました。

だからといって、当時はわかっていなかったというわけではなく、その頃も、いまも実はほとんど変わってはいません。

今になって急に見えるようになったわけでもありません。

ただ、文章の書き方は少し変わりました。

以前は、意識の周波数をチューニングして、見えていたものをそのまま書くことが多かったのです。

けれど最近は、結論に至るまでの体験や違和感を書くことが増えました。

見ているものが変わったわけではありません。

話し始める入口、もしくは場所が変わったのです。

 

結論は入口にならない

何かが見えるようになると、人はつい結論から話したくなります。

私もそうでした。

けれど、結論だけでは人は中々入れません。

「評価に振り回されなくていい」と言われても、その人が評価に苦しんでいる最中であれば、その言葉は届きません。

「自分らしく生きればいい」と言われても、自分を縛っているものが見えていなければ、ただの理想論になってしまいます。

結論は間違っていないのかもしれません。

しかし、結論だけでは入口にならないのです。

 

私自身も体験から始まった

振り返ってみると、私自身も最初から社会構造を見ていたわけではありません。

最初にあったのは体験でした。

違和感でした。

問いでした。

なぜこんなに苦しいのだろう。

なぜ同じことを繰り返すのだろう。

なぜそれを価値あるものだと思っているのだろう。

そうした体験や問いを辿っていく中で、少しずつ見えてくるものがありました。

だから構造は、どこか遠くにあるものではありません。

いつも具体的な体験の中に現れています。

 

見えるものは変わっていない

最近の記事を読むと、以前より少し具体的になったように感じます。

けれど、見ているものが変わったわけではありません。

社会構造への関心がなくなったわけでもありません。

人間の意識に興味がなくなったわけでもありません。

自由について考えることをやめたわけでもありません。

むしろ今も変わらず、それらをテーマとして、このサイトを制作し続けています。

ただ、以前よりも、身近な言葉や体験を通して書くことが少しずつ増えてきました。

売上の話。

評価の話。

違和感の話。

日常の中で起きる出来事の話。

それらは本質から離れた話ではありません。

私には同じものを別の角度から見ているように感じられるのです。

見ている景色は変わっていません。

変わったのは、その景色へ向かう入口なのです。

入口は人それぞれです。

けれど、その先で見えてくるものには、どこか共通するものがあるように感じています。

 

伝えるとは、階段をつくることなのかもしれない

昔は、自分が見ている景色を書いていました。

今は、その景色へ向かう途中の道も書くようになりました。

結論を捨てたわけではありません。

見えなくなったわけでもありません。

ただ、その景色へ至る過程にも大切な意味があることが、よくわかってきたのです。

もしかすると、伝えるということは、新しいことを語ることではないのかもしれません。

同じ景色を見ながら、その景色へ至る階段を丁寧につくっていこうと思います。

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