Inner Growth

内面の成長・気づきのコラム

社会が求める肩書きと、本質のあいだで

「シンクタンク」と聞くと、多くの人は大きな研究機関を思い浮かべるかもしれません。

研究員が集まり、政策提言を行い、企業や行政から調査研究を受託する。

専門的な知見を蓄積し、それを社会へ提供する組織。

そのような姿が、この言葉には重ねられてきました。

Office Human Natureは、この言葉を使っています。

 

自分の活動を、どの言葉で社会へ伝えるのか

About Officeのページを整えるなかで、改めて、自分のしていることを社会に対してどのような言葉で説明するのかを考える時間がありました。

何者として名乗るのか。

どのような肩書きを持つのか。

どの言葉であれば、現在の活動を大きく外さずに伝えられるのか。

社会には、役割や専門性を短く伝えるための肩書きが数多くあります。

医師、看護師、弁護士、研究者、経営コンサルタント。

肩書きがあることで、その人が何をしているのかを理解しやすくなり、一定の安心も生まれます。

肩書きは、社会の中で人や活動を理解するための、便利な入口として機能しています。

けれど、その入口が、その人の活動の全体や本質まで表しているとは限りません。

私自身も、これまでさまざまな肩書きを考えてきました。

人材育成家。

コンサルタント。

研究者。

あるいは、さらに内側にあるものを言葉にするなら、霊的教師という表現も考えられます。

どれも、まったく間違っているわけではありません。

実際に、それぞれの要素は、これまでの活動の中に含まれています。

人材育成には、今も強い愛着があります。

長いあいだ、人がどのように物事を捉え、どのような過程を経て変化していくのかを見つめてきたからです。

一方で、現在行っていることは、一般的な人材育成とは少し異なります。

研修を中心にしているわけでもなければ、企業の課題を解決するためのコンサルティングを主な活動にしているわけでもありません。

研究していることは確かですが、大学や研究機関に所属し、学術研究そのものを目的としているわけでもありません。

どの言葉も活動の一部を示してはいるものの、その全体を収めることはできませんでした。

考え続けるなかで見えてきたのは、適切な肩書きが見つからないことが問題なのではない、ということでした。

そもそも、続けてきた活動そのものが、既存の一つの職業分類には収まりきらないのです。

 

個人が「シンクタンク」と名乗ることへの迷い

その過程で、一つの言葉に辿り着きました。

シンクタンク。

この言葉を使うことには、正直なところ、少し迷いがありました。

個人で活動する自分が、そのような言葉を使ってよいのだろうか。

少し大きすぎる言葉ではないか。

社会的に認知された組織でもなく、多くの研究員を抱えているわけでもない自分が名乗ることに、どこかおこがましさがあるのではないか。

そのような感覚が、しばらく残っていました。

けれど、その迷いを見つめていくと、そこにも一つの前提があることに気づきます。

大きな組織でなければならない。

多くの研究者が所属していなければならない。

社会的に認知され、一定の権威を持っていなければ、その言葉を使うべきではない。

私自身もまた、「シンクタンクとはこういうものである」という社会的なイメージを、知らないうちに受け取っていたのだと思います。

シンクタンクという言葉は、一般的には政策研究機関や民間研究所などを指す言葉として使われています。

そのため、「シンクタンク」と聞いて、大きな組織や多くの研究者を思い浮かべることは自然です。

Office Human Natureは、その一般的な意味における政策研究機関ではありません。

行政や企業から大規模な調査を受託し、政策提言を行うことを主な目的としているわけでもありません。

その違いは、曖昧にせず認識しておく必要があります。

一方で、言葉が示している機能や本質まで見ていくなら、別の輪郭も現れます。

複雑な対象を継続して研究すること。

問いを立て、考察を積み重ねること。

目に見える現象の背後にある構造を明らかにすること。

そこから得られた知見を、社会へ届けること。

シンクタンクをそのような知的活動の場として捉えるなら、組織の規模だけが本質なのではありません。

重要なのは、何を探究し、どのような問いを立て、その思考をどれだけ継続してきたのかということです。

 

「個人シンクタンク」という在り方

シンクタンク・ソフィアバンク代表の田坂広志氏は、著書『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』の中で、インターネット時代における新しい専門家の在り方を論じています。

個人が自ら研究し、考え、情報を編集し、その知見を社会へ発信していく。

ここで語られているのは、建物や組織図の大きさではありません。

一つのテーマについて、長い時間をかけて考え続けること。

その思考を、自分の内側だけに留めず、継続して社会へ届けること。

そして、その積み重ねが、誰かの認識や判断に影響を与えていくこと。

その働きそのものに、シンクタンクとしての役割を見る視点です。

この考え方に触れたとき、自分が続けてきた活動にも、少しずつ輪郭が見えてきました。

 

肩書きが示すものと、示さないもの

情報があふれる社会では、肩書きや所属組織は、一つの重要な判断材料になります。

大学、研究所、企業、資格、役職。

それらは、その人がどのような教育や訓練を受け、どのような立場で活動しているのかを示す目印になります。

社会の中で信頼を形成するために、肩書きや所属が果たしてきた役割を否定する必要はありません。

ただし、それらが示しているのは、多くの場合、「どこに所属しているのか」「どの資格を取得したのか」「どの役割を与えられているのか」という事実です。

一方で、どれほど長く一つの対象を見つめてきたのか。

どのような問いを持ち続けてきたのか。

何を経験し、何を考え、どのような思考を積み重ねてきたのか。

その実質は、肩書きだけから測ることはできません。

立派な肩書きが、そのまま深い思考を保証するわけではありません。

反対に、社会的な肩書きを持たない人の中に、長い時間をかけて育てられた洞察が存在しないとも限りません。

肩書きと実質は、重なることもあれば、離れていることもあります。

けれど私たちは、目に見えにくい探究の蓄積よりも、目に見える所属や名称によって、相手の価値を判断しやすいところがあります。

それは、限られた情報の中で判断するための、社会的な習慣でもあるのでしょう。

同時に、その習慣によって、見えなくなっているものもあるのかもしれません。

 

Office Human Natureで続けてきたこと

Office Human Natureで続けてきたのは、人間を観察することです。

人が何を見て、どのように意味を与え、何を自分自身だと認識するのか。

その認識が、教育、労働、お金、言語、役割、制度、文化と、どのように結びついているのか。

社会の中で当然とされている前提が、人間の判断や生き方にどのような影響を与えているのか。

そのような問いを持ちながら、人間の認識構造と社会構造を見つめてきました。

そこから見えてきたものを、文章として記述する。

記事として公開することもあれば、一冊の文書として編み直すこともあります。

その言葉を通して、読者がこれまで当然だと思っていたものを、別の角度から見られるようになる。

目の前の出来事だけでなく、その背後にある前提や構造へ意識が向いていく。

その結果として、人や社会の見え方に、わずかな変化が生まれていく。

こうして並べてみると、長年続けてきたことは、単なる執筆でも、教育でも、コンサルティングでもありませんでした。

それらを部分的に含みながら、もう少し異なる活動をしていたのだと思います。

複雑な対象を継続して研究し、その背後にある認識や構造を見つめ、そこから得られた洞察を社会へ提示していく知的活動の場。

Office Human Natureが行っていることは、この姿に近いのだと思います。

 

肩書きではなく、活動の実質から言葉を選ぶ

現在、当オフィスについては、次のように記しています。

『Office Human Nature』は、人間という存在を探究し、人や社会の見え方に変化をもたらす洞察を届けるシンクタンクです。

この一文に辿り着くまでには、思っていた以上に時間がかかりました。

名称や説明文、活動の見せ方について、これまでにも何度か変更を重ねています。

そのたびに、読んでくださっている方には、少しわかりにくさを感じさせてしまったかもしれません。

それでも言葉を整え続けてきたのは、大きな名称を掲げたかったからではありません。

肩書きによって、自分自身の価値を高く見せたかったわけでもありません。

自分を固定的に定義するためというより、現在行っている活動を、社会とどのような言葉で接続するのが自然なのかを考えてきました。

人材育成家という言葉だけでは、研究活動が見えにくくなります。

研究者という言葉だけでは、人の認識や変化に関わってきた時間がこぼれ落ちます。

コンサルタントという言葉では、課題解決や助言を目的としているように見えます。

けれど、Office Human Natureが行っているのは、誰かに正解を与えることではありません。

人間や社会を見つめ、そこに存在する構造を記述し、読者自身が考えるための土台を残していくことです。

その活動の実質から考えたとき、現時点で最も近い言葉が、シンクタンクでした。

 

社会が求める肩書きと、本質のあいだで

組織の規模が大きいことと、思考が深いことは、本来、別の軸にあります。

社会的な所属があることと、一つの探究が長く続いていることも、同じではありません。

肩書きがあることと、その言葉が示す働きを実際に担っていることも、必ずしも一致しません。

「シンクタンクとは大きな組織である」という前提に立つとき、私たちは何を根拠に、その活動の価値を判断しているのでしょうか。

組織の規模でしょうか。

肩書きでしょうか。

知名度でしょうか。

社会的な権威でしょうか。

それとも、長い時間をかけて積み重ねられてきた観察や思考、そのものなのでしょうか。

肩書きは、本質そのものではありません。

けれど、社会と接続するためには、何らかの言葉が必要になります。

その言葉が完全に活動を表しきることはなくても、入口として置くことはできます。

だからこそ、何を名乗るかだけではなく、その言葉の内側で実際に何を続けているのかが問われます。

どのような在り方で、何を見つめてきたのか。

どのような問いを持ち、何を積み重ねてきたのか。

そして、そこから得られたものを、どのような形で社会へ返していくのか。

本当に大切なのは、そのほうなのだと思います。

Office Human Natureは、これからも、人間という存在を見つめ続けます。

目に見える出来事だけでなく、その奥にある認識や構造へ、静かに光を当てていきます。

そして、読者が誰かの答えを受け取るためではなく、自分自身で世界を見つめ、考えられるようになるための言葉を、これからも積み重ねていきます。

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