
『ただ、君を愛してる』 レンズ越しに見つめる、消失と永遠の境界線
深い森の奥、木漏れ日が静かに降り注ぐ水辺。
一台のカメラを手に、ただ無心にシャッターを切る二人の姿があります。
『ただ、君を愛してる』という物語を思い返すとき、私の心に真っ先に浮かぶのは、あの森を吹き抜ける風の音と、あまりに純粋な「好き」という震えです。
主人公・静流(しずる)が選んだ、恋をして大人になることは死に至るという運命。
それは物語の中の設定ではありますが、どこか私たちの人生の本質を突いているようにも思えます。
誰かを深く想い、自分以外の存在に心を奪われるとき、私たちはそれまでの幼い自分を脱ぎ捨て、否応なしに新しい自分へと作り替えられていく。
その変化は、甘やかであると同時に、戻ることのできない切実さを孕んでいます。
「私はただ、好きな人が好きな人を、好きになりたかっただけ」
彼女が口にするこの言葉には、胸が締め付けられるような健気さと、驚くほどの強さが同居しています。
自分の「独占したい」という願いよりも、相手が大切にしている世界そのものを丸ごと愛そうとする意志。
それは、自分と相手の境界線が、温かい光の中で溶け合っていくような瞬間だったのかもしれません。
「私は、好きな人の好きな人を、好きになりたいと思った」
そう語る彼女の姿は、決して自己犠牲などではなく、一人の人間として「どう愛するか」を自ら選び取った、静かな自立の現れのように感じます。
自分の命を燃やし尽くすことになっても、それでもなお、誰かを想って魂を震わせる。
その真っ直ぐな生き方は、効率や正解ばかりを求める私たちの日常に、忘れていた大切な手触りを思い出させてくれます。
森の中で交わされた、一生に一度のキス。
「今のキスに、少しは愛はあったかな?」
その問いかけのあとに残された、短い沈黙。
写真は、移ろいゆく時間のなかから、その瞬間にしか宿らない光をそっと切り取る祈りのような行為です。
レンズというフィルターを通すことで、彼女は世界をありのままに見つめ、愛する人の姿を、そして自分自身の生きた証を、永遠の中に留めようとしました。
彼女が写真の中に残したものは、肉体の不在を超えて、今もなお鮮烈なエネルギーを放ち続けています。
「こんなに遠くに来ちゃってるけど誠人に言うね。さよなら…またどこかで会いましょう」
物語の最後に置かれたこの言葉は、悲しい別れではなく、いつか別の形で行われる再会の約束のように響きます。
彼女の「嘘」の正体は、相手を守るための「真実の別の形」だったのかもしれません。
病や死といった、抗いようのない運命さえも愛の背後に隠し、相手がこれからも生を愛し続けられるようにと願う。
それは自分を偽るための嘘ではなく、相手の中に生き続けるための、最後のおまじないのようなものであった気がします。
大人になることは、失うことではなく、より自分らしい姿へと還っていくこと。
たとえその姿が目に見えなくなったとしても、純粋な想いの残響は、森の木漏れ日のように、今もどこかで誰かの明日を優しく照らしている。
現像を待つフィルムが、暗闇の中で静かにその時を待つように。
あの深い森に降り注いでいた光の粒子は、今もどこかで、絶え間なく躍動し続けています。