
『PERFECT DAYS』 木漏れ日のなかに宿る「今」という永遠
ヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』を観終えたあと、私の心に残り続けたのは、物語の筋書きではありませんでした。
主人公・平山が、毎日のように見上げていた木漏れ日です。
彼は東京の公共トイレの清掃員として、規則正しい毎日を送っています。
朝、近所の誰かが竹箒で道を掃く音で目を覚まし、苗木に水をやり、作業着に袖を通す。
自動販売機で缶コーヒーを買い、古い軽ワゴンで仕事へ向かい、カセットテープから流れる音楽を聴く。
端から見れば、昨日と変わらない一日です。
けれど、平山が見ている世界は、決して昨日と同じではありません。
昼休憩のベンチで、あるいは神社の境内で、彼はふと空を見上げます。
葉の隙間から差し込む光は、風が吹くたびに姿を変えます。
彼は、その瞬間にしか存在しない木漏れ日を、小さなカメラで静かに写していきます。
現像された写真は、どれもよく似ています。
けれど平山にとっては、一枚として同じ景色ではなかったのでしょう。
「今度は今度、今は今」
劇中で交わされるこの言葉を思い返すたびに、私は木漏れ日のことを思い出します。
私たちは毎日、同じ道を歩き、同じ景色を眺めながら、本当に同じものを見ているのでしょうか。
目の前にあるものは変わらなくても、見つめる眼差しが変われば、世界はまったく違う表情を見せるのかもしれません。
平山は、特別な何かを探していたようには見えません。
ただ、その日にしか現れない光を、そのまま受け取っていた。
だから彼の毎日は、繰り返しではなく、一日一日が新しく息づいているように感じられます。
物語の終わり、車を走らせる平山の顔に朝の光が差し込みます。
瞳には涙が浮かび、それでいて口元には微かな微笑みがありました。
悲しみだったのでしょうか。
喜びだったのでしょうか。
その表情を見つめていると、どちらか一つでは言い表せない時間が、人の中にはあるのだと思えてきます。
映画を観終えたあと、不思議と木漏れ日を見上げたくなりました。
あの日、平山が見ていたものは木漏れ日だったのでしょうか。
それとも、自分だけの世界だったのでしょうか。
-- ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』を観て