
人生は設計するものか、それとも現れてくるものか
人生について考えるとき、私たちはよく「どんな人生を生きたいか」を問いかけます。どんな仕事をしたいのか、どんな人になりたいのか、どんな未来を実現したいのか。そうした問いは、自分の人生を主体的に生きるために大切なものです。
一方で、人生を歩んでいると、不思議な感覚に出会うことがあります。自分では別の方向へ進もうとしていたはずなのに、気づけばまた同じ場所に戻ってきている。何度も離れようとしたのに、結局そこに関わっている。そして、その場所にいるときが一番自然だったりするのです。
もしかすると人生は、完全に設計するものではなく、少しずつ現れてくるものなのかもしれません。
人は思っているほど自由に自分を作れない
私たちは成長の過程で、多くの価値観を学びます。親から教わったことや学校で求められたこと、社会の中で評価されること、成功者と呼ばれる人たちの生き方などを参考にしながら、自分なりの人生を組み立てていきます。
それ自体が悪いわけではありません。けれど、その中には本当に自分に合っているものもあれば、どこか無理をして身につけたものもあります。若い頃は、その違いがよく分かりません。だから一生懸命に努力し、頑張れば変われる、もっと理想に近づけると思います。
実際に変わる部分もあるでしょう。しかし、年月が経つにつれて見えてくることがあります。それは、本当に自分に合わないものは、長く続かないということです。
合わないものは、いずれ剥がれていく
人は時に、社会が求める理想像を生きようとします。強くなろうとしたり、成功を目指したり、周囲の期待に応えようとしたり、誰かが描いた正解を追いかけたりすることがあります。それによって得られる経験もあれば、学べることもあります。
けれど、それが自分の深い性質から大きく外れている場合、どこかで無理が生じます。疲れてしまうこともあれば、違和感を覚えることもあるでしょう。あるいは、なぜか続かなくなることもあります。
最初は失敗だと思うかもしれません。ですが後になって振り返ると、それは失敗ではなく、本来の方向へ戻るための調整だったと気づくことがあります。人生には、不思議と残るものがあるのです。
自分ではないものが剥がれた先に
私たちはよく、「自分らしさを見つける」と言います。しかし実際には、自分らしさは新しく作り出されるものではないのかもしれません。むしろ、自分ではないものが少しずつ離れていった結果として見えてくるもの。そんな側面があります。
他人の期待や社会の常識、こうあるべきという思い込み、理想の自分というイメージ。それらを一つずつ見つめ直していくと、最後に残るものがあります。
それは、努力して作り上げたものではなく、最初からそこにあったものです。無理をしなくても自然に向かってしまうものや、何度離れても戻ってきてしまうもの。それが、その人本来の性質なのかもしれません。
人生は現れてくるものなのかもしれない
人生には選択があります。だから設計することも大切です。どんな環境を選び、何を学び、誰と関わるのか。それらは確かに人生を形づくります。
けれど同時に、人生には設計だけでは説明できない流れもあります。自分で決めたはずなのに、振り返ると導かれるように同じテーマに戻っている。偶然のように見えながら、一貫した流れが存在している。そんな経験をしたことがある人も少なくないでしょう。
私はこれまで、このことを何度も文章にしてきました。なぜなら、人間を見ていても、自分自身の人生を振り返ってみても、同じような現象が何度も繰り返されているからです。
人は自由に人生を選択しているようでいて、本当に大切なものから完全に離れ続けることはできません。遠回りをすることはあっても、結局はどこかで再び向き合うことになります。そして、その何度も戻ってくるものの中に、その人自身の深い性質が表れているように思うのです。
もしそうだとしたら、人生とは何かを付け加え続ける過程ではなく、本来の自分を覆っているものが少しずつ剥がれていく過程だと考えられます。そして、その先で見えてくるものがあります。それは努力して作り上げた自分ではなく、最後まで残った自分です。
自分らしさとは、作るものではなく、残るものなのかもしれません。