
『進撃の巨人』|海の向こうにも、自由はなかった
子どもの頃から見たかった海が、目の前に広がっている。
どこまでも続く水面。寄せては返す波。初めて触れる海水に声を上げ、仲間たちは束の間、その景色の中に立っています。
けれど、エレンの視線は海にはありませんでした。
その向こうを見ています。
『進撃の巨人』を振り返ると、私はこの場面が妙に心に残っていることに気づきます。
幼い頃、エレンたちの世界は壁に囲まれていました。
壁の外には巨人がいる。
外へ出れば命を奪われる。
人々は巨大な壁の内側で暮らし、その内側にあるものを、自分たちの世界として生きていました。
けれど、エレンは壁の外へ行きたがります。
まだ見たことのない世界がある。
炎の水。氷の大地。砂の雪原。
アルミンが一冊の本を通して教えてくれた外の世界は、壁の内側しか知らなかった二人にとって、想像することしかできない場所でした。
そして、海もその一つでした。
壁の外へ出ること。
自分の目で、その世界を見ること。
誰にもそれを妨げられないこと。
エレンにとって、それは「自由」という言葉と、どこかで重なっていたように見えます。
けれど、壁の外へ出ることは簡単ではありませんでした。
巨人と戦い、仲間を失い、それでも前へ進む。
そうして長い時間を経て、彼らは本当に海へ辿り着きます。
海はありました。
本の中に描かれていたものが、想像ではなく、目の前に広がっている。
仲間たちは水に入り、波に触れます。
初めて見るものに驚き、笑い、はしゃいでいる。
幼い頃の二人が憧れていた景色の中に、ようやく自分たちが立っている。
その光景だけを見れば、長い旅の終わりのようにも見えます。
けれど、エレンは海の向こうを指さします。
そこには、さらに世界がある。
そして今の彼は、その世界が、自分たちがかつて想像していたものとは違うことを知っています。
海へ辿り着けば終わるわけではなかった。
壁の向こうには海があり、その海の向こうにも、人間の暮らす世界が続いていた。
壁によって閉じられていた世界から出たことで、世界は終わるどころか、さらに大きくなってしまった。
私は、そこに不思議なものを感じます。
ずっと向こう側へ行きたかった。
壁の外に何があるのか、自分の目で確かめたかった。
そして、本当にそこへ辿り着いた。
けれど、その場所へ立ったことで、今度はさらに向こう側が見えてしまう。
知らなかったときには、海が世界の果てでした。
海を知ったあとには、その向こうにも世界が続いています。
一つの境界を越えると、それまで見えていなかった次の境界が現れる。
考えてみれば、私は日常の中でも、似たようなことを繰り返している気がします。
ここを越えれば。
これが終われば。
ここへ辿り着けば。
その先には、今とは違う何かがあるように感じる。
そして実際にそこへ立つと、それまで見えていなかった景色が見えるようになります。
それは、求めていたものとは少し違うこともあります。
あるいは、そこへ来たからこそ、初めて次にあるものが見えてしまう。
だからといって、向こう側を求めることが間違っているとは思いません。
壁を越えなければ、壁の外から自分たちの世界を見ることはできなかった。
海へ行かなければ、その向こうに何があるのかもわからなかった。
ただ、私はあの海辺を見ると、「向こう側」というものの不思議さを感じます。
遠くにあるとき、それは一つの場所に見える。
けれど、そこへ辿り着くと、その場所にもまた奥行きがある。
そして、さらに向こうが見える。
波打ち際では、仲間たちが初めての海に触れています。
足元には、ずっと見たかった海がある。
エレンも、その海の中に立っています。
けれど、その指先は水平線の向こうを指している。
あれほど遠かった場所に辿り着いた人間が、その場所から、もう次の向こう側を見ている。
私はその姿を思い出すと、ときどきわからなくなります。
私が自由だと思っているものは、いったいどこにあるのでしょう。
海は何も答えず、彼らの足元で、ただ波を返していました。
-- 『進撃の巨人』を観て