Quiet Signals

日常の観察・問いの記録

笑ってしまった、そのあとで

真面目に考えていたはずでした。

どうすればうまく生きられるのか。

何が正しいのか。

どこへ向かえばいいのか。

言葉を積み重ね、思考を整理し、自分なりの理解へ近づこうとする。

その営みは、とても大切なものです。

考えることは、自分自身を丁寧に扱おうとすることでもあります。

けれど、ときどき、不思議な瞬間があります。

あれほど真剣だったはずなのに。

あれほど重要だったはずなのに。

ある瞬間、ふっと笑ってしまう。

何が可笑しかったのか、自分でもよく分かりません。

ただ、自分が頭の中で作り上げた壮大な物語の中を、一人で忙しく走り回っていたことに気づいてしまうのです。

その瞬間、何かがほどけます。

問題が解決したわけではありません。

答えが見つかったわけでもありません。

それでも、それまで胸いっぱいに広がっていた深刻さだけが、静かに居場所を失っていきます。

笑ってしまったあと、しばらく何も考えられません。

考えなくなったというより、考える必要がないような時間です。

それまで必死に握っていたものが、いつの間にか手の中から抜け落ちている。

その軽さに、自分でも少し驚きます。

また明日になれば、きっと私は同じように考え始めるのでしょう。

また悩み、整理し、分かったような気になって、行き詰まる。

その繰り返しなのだと思います。

けれど、そのことまで含めて笑えてしまう日があります。

世界は何ひとつ変わっていません。

窓の外の光も、お茶の湯気も、風に揺れる木も、何も変わっていません。

それなのに、同じ景色が少しだけ違って見えることがあります。

何が起きたのかを説明する言葉は見つかりません。

ただ、その日はもう十分なのだと思える。

人間であることも、案外悪くない。

そんな静かな感覚が、心のどこかに残っていました。

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