
『マイ・フレンド・フォーエバー』|少年たちの純粋さ
人生には、いつか必ず終わりが訪れます。
それは誰もが知っていることです。
それでも私たちは、その日が来ないように願ったり、何か別の希望で覆おうとしたりしながら生きています。
映画『マイ・フレンド・フォーエバー』のエリックとデクスターも、そんな二人でした。
デクスターは、自分の命が長くないことを知っています。
けれどエリックは、それを受け入れようとはしません。
どこかに病気を治す薬があると信じ、二人はいかだに乗って川を下る旅へ出ます。
その旅は、病気を治すためだけのものではなかったように思います。
終わりを受け入れたくないという願い。
それでも、親友のために何かをしたいという想い。
子どもだからこそ信じることのできた希望が、その小さないかだには乗っていました。
大人になれば、「どうにもならないこと」があると知ります。
けれど、二人はまだ、その答えを知りません。
だからこそ、川を下り続けました。
その姿は無邪気で、どこか切なく、そして、とてもまっすぐでした。
やがて旅は終わります。
魔法の薬は見つかりません。
願った未来も訪れません。
それでも、あの旅が無意味だったとは思えませんでした。
あの時間があったからこそ、二人は自分たちなりのやり方で、「さようなら」に近づいていけたのではないでしょうか。
そして、デクスターが旅立ったあと。
葬儀の日、エリックは自分のスニーカーを片方、デクスターのもとに残します。そして代わりに、デクスターの靴を片方持って帰ります。
旅の途中、暗闇を怖がるデクスターに、エリックは自分のスニーカーを渡していました。それを持っていれば、自分がそばにいることを思い出せるように。
その靴を、今度はデクスターのそばに残す。
そしてエリックは、持ち帰ったデクスターの靴を、二人の旅をつないでいた川へと流します。
あの場面を思い返すたび、胸が静かに締めつけられます。
川を流れていく一足の靴には、一緒に笑った時間も、叶わなかった願いも、あの夏のすべてが乗っているようでした。
私たちは、いつまで魔法を信じられるのでしょうか。
終わりが来ると知りながら、それでも誰かと川を下り、叶わないかもしれない約束を信じ続けること。
あの川を流れていくデクスターの靴を思い出すたび、私は、この映画が描いた二人の純粋さを、いつまでも忘れたくないと思います。
-- 映画『マイ・フレンド・フォーエバー』を観て