
時計の秒針 刻まれる「今」の厚み
静かな部屋で一人、書き物をしているとき。
ふと、時計の秒針が刻む規則正しい音が耳に届くことがあります。
普段は気にも留めないその音が、ある日だけ妙に近く感じられることがあります。
耳を澄ませていると、時計はいつもと変わらない速さで時を刻み続けています。
けれど、その音を聞いている自分の時間は、少しずつ違う流れ方をしているようでした。
私たちは普段、時計を未来へ向かうための道具として使っています。
あと数分で仕事が終わる。
あと一時間で誰かに会える。
気づけば意識は次へ次へと向かい、「今」という時間は、何かへ向かう途中として通り過ぎていきます。
けれど、秒針の音だけを静かに聞いていると、その均一なリズムとは対照的に、自分の内側を流れる時間は驚くほど不揃いであることに気づきます。
何かに没頭している一時間は、あっという間に過ぎていく。
誰かを待つ一分間は、いつまでも終わらないように感じられる。
時計は同じ速さで進み続けているのに、私たちが生きている時間は、そのときどきでまったく違う表情を見せています。
秒針が一つ隣の目盛りへ動く、その短いあいだにも、思い出がよみがえったり、まだ来ていない未来を想像したりしています。
「今」という一瞬は、思っているよりずっと厚みのある時間なのかもしれません。
しばらく時計の音を聞いていると、それはどこかへ急かす音ではなく、ただ静かに時を刻んでいるだけなのだと思えてきます。
部屋には何も変わらない音が響いていました。
変わっていたのは、その音を聞いている私のほうだったのかもしれません。