Quiet Signals

思索と兆し・余白の記録

その努力は、何を見えなくしているか

頑張っているときほど、見えなくなるものがあります。

やるべきことがはっきりしていて、前に進んでいる感覚があるとき。迷いが少なく、手応えもあるその状態は、そのまま続けることが正しいように感じさせてくれます。努力は、方向を鮮明にします。何をするべきか、どこに向かうべきか。その輪郭を強くしてくれる分、それ以外のものは、どうしても見えにくくなってしまうのです。

少しだけ引っかかる感覚や、言葉にならない違和感。そういったものは、優先順位の低いものとして、自然と意識の外側へ外れていきます。今は関係のない「ノイズ」として、後ろに下がっていく。

けれど、それで消えているわけではありません。

頑張ることで、確かに前には進みます。ただ同時に、見える範囲も少しずつ固定されていく。同じ方向に力をかけ続けることで、別の可能性は静かに閉じていくのかもしれません。

あとから振り返ったときに、気づくことがあります。最初に感じていた小さなズレが、ずっとそのまま残っていたことに。

努力が足りなかったわけではなく、ただ、方向が合っていなかっただけ。けれどその違いは、一生懸命に動いている最中にはなかなか見えません。動いているあいだは、止まる理由が見つからないからです。だから違和感は、未解決のまま、そこに置かれ続けます。

そしてある日、それははっきりとした形になって現れます。進んできた道が、少しだけ違っていたことに気づく形で。

頑張ること自体は、間違いではありません。ただ、それがすべてを正しく導くわけでもないのだと思うのです。見えなくなっているものがある、ということ。その事実だけは、いつも静かに残り続けている気がするのです。

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