
『メタモルフォーゼの縁側』 好きという震えが、世界を新しく塗り替える
古い家の縁側に、やわらかな光が落ちています。
十七歳の少女と、七十五歳の婦人。
二人のあいだには、一冊のBL漫画が置かれていました。
その光景が、不思議なくらい心に残っています。
年齢も、生きてきた時間も違う二人が、「好き」というたった一つのものを通して、自然に笑い合っている。
そこには、説明できる理由は何もありません。
ただ、その時間だけが静かに流れていました。
この作品を観ていると、「好き」という気持ちは、とても小さなもののようでいて、人の世界を大きく変えてしまうものなのだと感じます。
誰かに認められるためでもありません。
何かの役に立つからでもありません。
「好きだから」
それだけで、人は新しい扉を開いてしまうことがあります。
慣れない手つきで漫画を読む婦人。
夢中で原稿に向かう少女。
どちらも何かを証明しようとしているのではなく、自分の心が動くほうへ、ただ素直に歩いているように見えました。
その姿を見ながら、私は少し考えていました。
いつから私たちは、「好き」という気持ちに理由を求めるようになったのでしょう。
何の役に立つのか。
今さら始めて意味があるのか。
そんな問いを重ねるうちに、本当に大切だった最初の震えを、どこかへ置いてきてしまったのかもしれません。
映画の終わり、二人の日常は大きく変わるわけではありません。
それでも、最初に見た景色とは少し違って見えます。
変わったのは年齢でも、暮らしでもありません。
「好き」という気持ちを受け入れた、その眼差しだったのかもしれません。
映画を観終えたあと、散歩道の景色が少しだけ明るく見えました。
世界が変わったのでしょうか。
それとも、小さな「好き」を見つめる自分のほうが、少しだけ変わっていたのでしょうか。
-- 『メタモルフォーゼの縁側』を観て