Quiet Signals

日常の観察・問いの記録

駅のホーム|通過点と束の間の休息

駅のホームに立っていると、不思議なことがあります。

誰も、この場所を目的地にはしていません。

家へ帰る人。

仕事へ向かう人。

誰かに会いに行く人。

それぞれ行き先は違います。

けれど、その数分間だけは、同じホームで同じ時間を過ごしています。

私たちは、この場所を「途中」と呼びます。

だからでしょうか。

ホームで過ごす時間は、どこか「まだ始まっていない時間」のようにも、「もう終わった時間」のようにも感じられます。

目的地へ着くまでの空白。

意味を持たない時間。

そんなふうに認識しているのかもしれません。

けれど、本当にそうなのでしょうか。

ベンチに座り、線路の先を眺めている人。

静かに目を閉じている人。

何かを考えている人。

何も考えていない人。

その数分間にも、それぞれの人生は確かに続いています。

途中だからといって、生きることが止まるわけではありません。

むしろ、人はそうした「途中」の時間のなかで、自分を少しずつ整えながら次の場所へ向かっているようにも見えます。

人生にも、同じような時間があります。

何かが終わり、まだ次が始まっていない時間。

役割と役割のあいだ。

答えが出る前の時間。

私たちは、その時間を「早く終わってほしい」と思います。

けれど、振り返ってみると、人は目的地だけで生きているのではありません。

途中を生きています。

そして、その途中の積み重ねが、人生になっています。

列車がホームへ滑り込んできます。

人はそれぞれの場所へ向かって歩き始めます。

けれど、ほんの数分前まで共有していた、あの静かな時間もまた、その人の人生の一部だったのでしょう。

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