
坂本龍一という人間を考える|音楽、意識、そして生涯を通じた変化
坂本龍一氏の音楽に触れたことのある人は、少なくないでしょう。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)での活動、映画『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』の音楽、数多くのソロ作品。坂本氏は、日本を代表する音楽家の一人として、国内外で高い評価を受けてきました。
しかし、その生涯をたどっていくと、音楽家としての活動だけでは捉えきれない、さまざまな関心や経験が見えてきます。哲学や思想への関心、身体や意識についての探究、自然環境や社会問題への取り組み。そして、他者との関係の中で見られた振る舞いや、年齢を重ねる中で本人が語るようになった変化です。
私は今回、坂本氏がどのような人間だったのかを、できる限り丁寧に見つめてみたいと思いました。きっかけの一つには、音楽を生み出す人間の内面と、その人が作り出す音楽との関係についての関心があります。作曲者の感受性や意識の状態は、創作にどのように関わっているのでしょうか。また、優れた音楽を生み出す能力と、日常の中で他者と関わる際の振る舞いには、どのような関係があるのでしょうか。
こうした問いについて考えるとき、作品から受ける印象だけで、作曲者の人格を判断することはできません。反対に、人物について伝えられている一つの出来事から、その人が生み出した作品の意味を決めることもできないでしょう。作品を通して経験できることと、本人や関係者の言葉から確認できることは、それぞれ異なるものだからです。
本稿では、坂本氏の著作やインタビュー、長年関わってきた人々の証言などを手がかりに、その生涯をたどっていきます。確認できる事実と、そこから私が考えることは区別しながら、一人の人間の中に存在するさまざまな側面を見つめたいと思います。
坂本氏の功績を称えるためだけでも、過去の振る舞いを批判するためだけでもありません。音楽家としての優れた仕事を尊重しながら、一人の人間としての複雑さにも目を向けること。その先に、人間を理解するという営みについて、考える手がかりがあるように思うのです。
音楽家としての歩みと、広がり続けた関心
坂本龍一氏は、1952年1月17日に東京で生まれました。幼い頃から音楽に親しみ、東京藝術大学で作曲を学びます。大学では西洋音楽の作曲技法を学ぶ一方、電子音楽や民族音楽などにも関心を広げていきました。1970年代にはスタジオミュージシャンや編曲者として活動し、さまざまな音楽家の制作に関わるようになります。
1978年には、初のソロアルバム『千のナイフ』を発表しました。同じ年、細野晴臣氏、高橋幸宏氏とともにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成します。電子楽器やコンピューターを積極的に用いたYMOの音楽は、日本だけでなく海外でも注目を集めました。坂本氏はその活動を通して、電子音楽を大衆的な音楽表現へと広げる一端を担うことになります。
しかし、坂本氏の音楽活動は、YMOという一つのグループに収まるものではありませんでした。1980年の『B-2 UNIT(ビー・ツー・ユニット)』、1981年の『左うでの夢』、1984年の『音楽図鑑』など、ソロ作品では異なる方法を試み続けています。電子音楽、ポップミュージック、実験的な音響表現などを行き来しながら、既存のジャンルにとらわれない創作を続けていました。
また、音楽を作ることだけでなく、音楽とは何か、音を聴くとはどういう経験なのかという問題にも関心を持っていました。1982年には哲学者の大森荘蔵氏との対話をまとめた『音を視る、時を聴く』を刊行しています。そこでは、音や時間、知覚などについて、音楽家と哲学者という異なる立場から考察が交わされています。
音楽について深く考えることと、実際に音楽を生み出すこと。坂本氏にとって、この二つは切り離されたものではなかったのでしょう。作曲の技術を磨きながら、音楽を経験する人間の意識や身体についても問いを持ち続けていたことが、後年の活動にもつながっていきます。
1983年には、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』に出演し、音楽も担当しました。同作の音楽は広く知られるようになり、坂本氏の活動を世界へ広げる重要な作品となりました。続く1987年公開の映画『ラストエンペラー』では、デヴィッド・バーン氏、蘇聡氏とともに音楽を担当し、翌1988年の第60回アカデミー賞で作曲賞を受賞しています。
映画音楽の分野で国際的な評価を得た後も、坂本氏は多様な活動を続けました。1999年にはオペラ『LIFE(ライフ)』を発表し、20世紀の歴史や戦争、環境、生命などをめぐる問題を舞台作品として表現しています。音楽だけでなく、映像や言葉、さまざまな文化的要素を組み合わせたこの作品には、音楽家としての関心が社会や人間のあり方へと広がっていたことが表れています。
2000年代以降には、自然環境や社会問題への取り組みも、活動の重要な部分になっていきました。森林保全活動への参加や、原子力発電をめぐる問題についての発言など、音楽家としての立場から社会に働きかける機会も増えていきます。また、東日本大震災後には、被災地の子どもたちの音楽活動を支援する取り組みにも関わりました。
一方、音楽そのものへの探究も続いていました。2009年の『out of noise(アウト・オブ・ノイズ)』、2017年の『async(アシンク)』などでは、自然の中に存在する音や、異なる時間の流れを持つ音の重なりに関心を向けています。従来の旋律や拍子を中心とした音楽だけでなく、環境の中で生じる音そのものを、どのように聴き、作品へと取り入れることができるのかを探っていました。
坂本氏は2014年に中咽頭がんと診断され、治療のために活動を休止します。その後、創作活動を再開しましたが、2020年には直腸がんが判明しました。治療を続ける中でも音楽に向き合い、2023年1月にはアルバム『12』を発表しています。同年3月28日、71歳で亡くなりました。
こうして生涯を概観すると、坂本氏の活動は、音楽家としての成功を積み重ねるだけのものではなかったことがわかります。音楽の形式を探究し、哲学や身体への関心を深め、社会や自然環境との関係についても考え続けていました。扱う対象や表現方法は変化しても、既存の理解にとどまらず、新しいものに触れようとする姿勢には、長い時間を通して続いていたものがあるように思います。
しかし、こうした活動の歩みだけでは、坂本氏という人間を十分に理解することはできません。音楽家としての評価や、本人が語った思想とは別に、他者との関係の中でどのように振る舞っていたのかという問題もあります。そして、その振る舞いについて、本人や周囲の人々が後年どのように語っていたのかを見ていくことで、また異なる側面が見えてきます。
ここまでは、坂本龍一氏の音楽家としての歩みと、その関心が哲学や身体、社会、自然環境へと広がっていったことを見てきました。しかし、音楽家としての功績や思想を知ることと、一人の人間を理解することは同じではありません。では、坂本氏は実際にどのような人間だったのでしょうか。ここから先では、本人や家族、長年の共同制作者たちの証言をたどりながら、音楽家としての評価だけでは見えてこない人物像を考えていきます。さらに、音楽と意識の関係、身体感覚や「気」への関心、晩年の創作を通して、人間は何によって変わるのか、そして一人の人間を理解するとはどういうことなのかを探究します。