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内面の探究・人間存在の考察

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Office Human Nature は、何を見つめているのか|人間を取り巻く構造と、その内側にあるもの

Office Human Nature では、人間について考えるために、さまざまな領域を扱っています。社会や歴史、制度、教育、労働、お金、文化。身体や自然、意識、認識、そして霊性。こうして並べると、互いに離れたテーマを扱っているようにも見えます。

けれども、私にとって中心にある問いは、それぞれの領域そのものではありません。見つめているのは、その中を生きている「人間」です。人は、何によって形づくられているのか。人の内側では、何が起きているのか。そして、社会や文化、経験の中で形成されてきたものと、その奥にあるHuman Nature は、どのような関係にあるのか。

これまでさまざまな問いを追いかけてきましたが、それらの関係をあらためて整理してみると、現在のOffice Human Nature が見つめているものは、次のような一つの図として表すことができます。

※ 上図はOHNの全体像(構想)です。図中の「宗教・霊性」は近接して表記していますが、両者を同一のものとして捉えているわけではありません。宗教は社会的・歴史的に形成される体系としての側面を持つ一方、霊性は必ずしも宗教や制度に属するものではありません。

 

人間は、内面だけで存在しているわけではない

人間の内面について考えるとき、私たちは思考や感情、性格、信念などに目を向けがちです。しかし、それらは何もないところから生まれているわけではありません。私たちは、生まれたときからすでに何らかの社会の中にいます。家族があり、言葉があり、文化があり、教育があり、制度があります。何が正しいのか、何が望ましいのか、どのように生きるべきなのかについても、私たちは多くのものを周囲から受け取りながら育っていきます。

歴史もまた、現在を生きる私たちと無関係ではありません。いま当たり前に使っている制度や言葉、働き方、お金の仕組み、家族のあり方、教育の形。その多くには、それぞれ成立してきた過程があります。そして、それらの中で生きるうちに、外側に存在していたものは、少しずつ人間の内側にも入り込んでいきます。価値観となり、信念となり、判断の基準となり、ときには「これが自分だ」という自己認識の一部にもなっていきます。

だからこそ、人間の内面だけを切り離して見ても、その人がなぜそのように世界を見ているのかを十分に理解できないことがあります。内側で起きていることを見つめるためには、その人を取り巻いてきた社会や文化、歴史や制度にも目を向ける必要があります。

 

外側の世界もまた、人間によってつくられている

しかし、外側から内側へ影響が流れ込むだけではありません。社会や制度や文化も、人間とは別のところに存在しているわけではありません。人が何を正しいと考えるのか。何を価値あるものとして扱うのか。何を選び、何を拒み、どのように行動するのか。そうした無数の判断や行動が重なりながら、人間関係が生まれ、組織がつくられ、制度や文化が維持され、ときには変化していきます。

つまり、人間は社会から影響を受けながら生きる存在であると同時に、その社会をつくっている存在でもあります。外側の構造が人間の内面を形づくり、その内面から生まれた選択や行動が、再び外側の世界を形づくる。両者は一方向の関係ではなく、互いに影響しながら続いています。

 

では、「自分」とはどこまでなのか

ここまで見ていくと、別の問いが生まれます。私たちが「自分」だと思っているもののうち、何が経験の中で形づくられ、何が社会や文化から受け取られてきたものなのでしょうか。自分の価値観だと思っていたものが、ある時代や文化の中で共有されてきた価値観かもしれません。自分自身の判断だと思っていたものが、教育や社会制度の中で身につけた基準によるものかもしれません。「こう生きなければならない」と感じていたものが、長い時間をかけて内面化された前提であることもあります。

もちろん、形成されたものであるからといって、それが間違っているわけではありません。社会の中で生きる以上、私たちはさまざまなものを受け取りながら生きています。それらは社会で生きるために必要なものでもあり、人生を豊かにするものでもあります。

重要なのは、それらを否定することではなく、それまで自分自身や現実そのものと区別できなかったものを、あらためて見つめられるようになることです。何が経験の中で形成されたものなのか。何が社会や文化から受け取ったものなのか。そして、それらとHuman Nature は、どのような関係にあるのか。Office Human Nature でHuman Nature という言葉を使っているのは、この問いがあるからです。

 

Human Natureを、簡単に定義しない

Office Human Nature では、Human Nature を人間の本質という意味で使っています。それは、社会的な役割や評価、過去の経験によって形づくられた自己像だけでは捉えきれない、人間という存在のより深いところにあるものです。この問いは、Office Human Nature の活動が始まった頃から、その中心にあり続けています。

一方で、「人間の本質とは何か」という問いに、一つの説明だけを置いて探究を終えたいわけではありません。人間について考えれば考えるほど、簡単な定義では捉えきれないものが見えてきます。身体を持つ存在としての人間。社会の中で形成される存在としての人間。世界を認識し、意味づける存在としての人間。意識を持ち、自分自身について考える存在としての人間。そして、ときには現在の科学や既存の説明だけでは簡単に整理できない体験をする存在としての人間。

どれか一つの説明だけを採用すれば、人間について整った説明をつくることはできるかもしれません。しかし、その説明に合わないものを最初から切り落としてしまえば、人間を理解するための探究そのものが狭くなってしまいます。だからこそ、Human Nature という中心を見失うことなく、それが何なのかを問い続けています。

 

体験したことと、その説明を分けて考える

この姿勢は、霊性を扱うときにも重要になります。人は、ときに日常的な認識の枠組みでは説明しにくい体験をします。深い一体感を経験することもあれば、自己と世界の境界が変化したように感じることもあります。宗教的な文脈の中で理解されてきた体験もあれば、特定の宗教とは関係なく経験されるものもあります。

ここで大切なのは、「何を経験したのか」と、「その経験を何だと説明するのか」を同じものにしないことです。ある体験をしたということと、それを神や霊的な存在によるものだと説明することは同じではありません。同様に、それを脳や身体の働きによって説明することも、体験そのものとは区別して考える必要があります。

宗教、哲学、心理学、神経科学、霊的な思想などは、それぞれ異なる言葉や枠組みから、人間の経験を理解しようとしてきました。それらを参照することには意味があります。しかし、どれか一つの説明の枠組みを先に置き、そこに体験を合わせてしまえば、実際に何が起きていたのかを見ることが難しくなることもあります。

だからOffice Human Nature では、まず経験されたことや観察されたことを見つめ、それについての解釈や説明とは、できる限り分けて考えます。これは霊性だけに限った話ではありません。社会について考えるときも、歴史について考えるときも、人間の心理について考えるときも、確認できることと、そこから導かれる解釈や見立てを混同しないことは大切だと考えています。

 

異なる領域を横断する理由

こうして考えると、Office Human Nature がさまざまな領域を扱っている理由も見えてきます。社会を研究すること自体が目的なのではありません。歴史を研究すること自体が目的なのでも、心理学や哲学、意識について一つの専門体系をつくることが目的なのでもありません。それぞれの場所から、人間を見ています。

労働について調べれば、人が仕事や役割とどのように自分自身を結びつけているのかが見えてきます。教育について調べれば、人が何を当然だと感じるようになるのか、その形成過程が見えてきます。お金について調べれば、価値や交換について、人間がどのような前提を共有しているのかが見えてきます。身体について見つめれば、思考だけでは捉えられない人間の反応が見えてきます。意識や霊性について考えれば、「人間とは何か」という問いそのものが、さらに深いところへ開かれていきます。

扱う対象は違っていても、その奥で見つめているものは同じです。人間とは、どのような存在なのか。その問いを見つめるために、必要に応じて異なる領域へ入り、そこから得られたものを再び人間理解へ戻しています。

 

形成されたものが見えるということ

私たちは、自分が身につけてきたものを、身につけたものだとは感じていないことがあります。あまりにも長くその前提の中で生きているため、それが世界そのものに見えているからです。けれども、その成立過程や構造を知ることで、それまで一つに見えていたものの間に、わずかな距離が生まれることがあります。

「これが現実なのだ」と思っていたものが、「私はこのように現実を見ていたのかもしれない」と見えるようになる。「これが自分なのだ」と思っていたものが、「これは自分の中に形成されてきたものなのかもしれない」と見えるようになる。それまで自分自身や現実そのものと重なっていたものが、観察できるものへと変わっていきます。

そこで何を選ぶのかは、その人自身に委ねられています。形成されたものを捨てる必要もありません。社会から離れる必要もありません。別の考え方を信じる必要もありません。ただ、それまで無自覚に握っていたものが見えるようになることで、握り続けることも、必要がなくなったものを手放していくこともできるようになります。

私にとって、探究することには、この意味もあります。人間や社会について多くの知識を持つことだけが目的なのではありません。自分自身だと思っていたもの、現実そのものだと思っていたものを見つめられるようになることで、それとの関係が変わっていく。その先に、人がより自分自身の本質に沿って生きられる余地が生まれるのだと考えています。

 

人間について、問い続ける

今回の図は、Office Human Nature における人間理解を完成させたものではありません。むしろ、これまで扱ってきたさまざまな問いが、現在どのような関係にあるのかを整理したものです。

社会や制度を見ること。歴史を遡ること。身体や自然を見ること。認識や意識について考えること。霊的な経験について問い直すこと。一見すると離れているそれらの探究は、人間という存在を中心に置いたとき、一つの場所でつながります。

外側にある世界と、内側で起きていること。形成されてきたものと、Human Nature。そして、人間が世界から影響を受けながら、同時にその世界へ参加しているということ。それらを切り離さずに見つめながら、人間とはどのような存在なのかを問い続ける。

今のところ、それがOffice Human Nature で行っていることを、もっとも素直に表しているように思います。

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