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人は、なぜ「いま」より思考を生きてしまうのか|人生は、どこで体験されているのか

目の前には、今日という一日があります。

窓から差し込む光があります。

風があります。

誰かの声があります。

身体は、確かにこの場所にいます。

それでも、私たちの意識は、その場にいないことがあります。

朝食を食べながら、仕事のことを考えている。

家族と話しながら、昨日の出来事を思い返している。

散歩をしながら、まだ来ていない未来を心配している。

そのような時間は、誰にでもあります。

では、そのとき私たちは、どこで生きているのでしょうか。

身体は現実にあります。

けれど、意識は思考の中にいます。

人生は、本当に「いま」で体験されているのでしょうか。

 

身体は現実を生き、思考は別の世界を生きている

私たちは、目で景色を見ています。

耳で音を聞いています。

足で地面を踏みしめています。

身体はいつも現実に触れています。

けれど、意識は必ずしも現実に触れているとは限りません。

身体が食事を味わっていても、頭の中では誰かとの会話を繰り返しています。

目の前には大切な人がいても、心は仕事の心配をしています。

休日を過ごしていても、来週の予定に追われています。

私たちは、身体よりも思考の方を現実だと思い始めることがあります。

すると、今ここにある人生よりも、頭の中でつくられた人生の方が大きくなっていきます。

 

人は、出来事ではなく思考を繰り返している

過去は、一度しか起きません。

けれど、その出来事は何度も繰り返されます。

思い出すたびに、あのときの感情がよみがえります。

言われた一言を思い返します。

もっと違う行動ができたのではないかと考えます。

出来事は終わっています。

けれど、思考は終わっていません。

未来も同じです。

まだ何も起きていません。

それでも、頭の中では何度も失敗しています。

何度も不安になっています。

何度も未来を体験しています。

つまり、人は現実を何度も生きているのではありません。

思考を何度も生きているのです。

 

思考は、私たちを守ろうとしている

だからといって、思考が悪いわけではありません。

思考には役割があります。

危険を避けようとします。

失敗を繰り返さないようにします。

未来を準備しようとします。

思考は、生きるための大切な働きです。

けれど、その働きが止まらなくなることがあります。

安全を確認し続けます。

答えを探し続けます。

まだ起きていない出来事まで管理しようとします。

すると、本来は道具であった思考が、人生そのものになっていきます。

人は思考を使っているつもりで、いつの間にか思考に使われ始めます。

 

「いま」が見えないのではなく、思考が大きくなっている

「いまを生きましょう。」

そう言われても、多くの人は困ってしまいます。

どうすればいいのか分からないからです。

実は、「いま」は失われていません。

呼吸は、いま行われています。

風は、いま吹いています。

身体は、いまここにあります。

なくなっているのは「いま」ではありません。

思考が、その静けさを覆っているのです。

だから、「いま」をつくる必要はありません。

まず、自分が思考の中にいることへ気づくことです。

 

人生は、思考では体験できない

どれほど人生について考えても、考えることと生きることは同じではありません。

食事は、考えても味わえません。

自然は、説明しても風を感じられません。

愛は、定義しても温もりになりません。

人生も同じです。

思考は人生を説明できます。

分析もできます。

意味づけもできます。

けれど、人生そのものは、思考の中では体験できません。

体験は、いつも「いま」で起きています。

だから私たちは、ときどき不思議な感覚になります。

何年も忙しく生きてきたのに、「ちゃんと生きた」という実感がない。

たくさん考えてきたのに、何も味わっていないように感じる。

それは、人生が足りなかったのではありません。

人生よりも、思考の方を長く生きていたのかもしれません。

 

「いま」に戻るとは、思考を止めることではない

ここで誤解したくないことがあります。

思考をなくすことが目的ではありません。

過去を忘れることでもありません。

未来を考えないことでもありません。

必要なときには思い出せばいい。

必要なときには計画すればいい。

問題は、その世界から帰って来られなくなることです。

思考は道具です。

住む場所ではありません。

私たちは、考えるために生きているのではなく、生きるために考えています。

その順番が入れ替わると、「いま」は遠く感じられるようになります。

 

人生は、「いま」の連続でしか存在しない

人生は、昨日ではありません。

明日でもありません。

昨日は記憶として残ります。

明日は想像として描けます。

けれど、生きられるのは、いつもこの瞬間だけです。

だから、「いま」は特別な教えではありません。

人生そのものです。

目の前の人を見ること。

一口のお茶を味わうこと。

空を見上げること。

身体が少し疲れていることに気づくこと。

そうした何気ない瞬間の中にしか、人生は存在していません。

私たちは、未来のために今日を生きているように思うことがあります。

過去を取り戻すために今日を使うこともあります。

けれど、本当に触れられる人生は、いつも「いま」にしかありません。

思考は必要です。

記憶も必要です。

未来への準備も必要です。

けれど、それらは人生そのものではありません。

人生とは、「いま」の連続です。

もし最近、毎日があっという間に過ぎていくように感じるなら、一度だけ立ち止まってみてください。

いま、自分は何を考えているのだろう。

そして、本当に触れているものは何だろう。

その問いは、思考を否定するためではありません。

人生が、いつもこの瞬間から始まっていることを、静かに思い出すための問いなのです。

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