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なぜ同じ世界を見ていても分かり合えないのか|「魂と意識の階層構造」をあらためて考える

以前、当サイトに「なぜ同じ世界を見ていても分かり合えないのか|魂と意識の階層構造」という記事を書きました。そこでは、人にはそれぞれ魂の成熟度があり、それに応じて意識にも段階があること、魂が成熟するほど、恐れや怒り、執着、自己中心性などから、無条件の愛や智慧、慈悲、静けさへと向かっていくことを書いています。そして、意識の段階が大きく異なる者同士では、同じ世界に生きていても、見えているものや受け取る意味が違ってくる。その違いが、私たちが互いにわかり合えない理由の一つなのではないかと考えていました。

記事ではさらに、霊的な世界では似た意識や波動を持つ存在同士が自然に集まり、大きく離れた領域にいる存在同士は交流しにくいこと、高い領域にいる存在は自らの表現を下げることで低い領域へ関わることができても、その逆は難しいこと、現実世界でも意識の状態が変われば関わる人や出来事が変化し、やがて経験する現実そのものが異なっていくことまで書いていました。いま読み返してみると、「魂の成熟」「意識の段階」「霊的世界の階層」「波動」「共鳴」「現実の見え方」が、一つの構造としてつながっています。

最近、この文章をあらためて読み返していて、ふと疑問が生まれました。私は、何を根拠にこれを書いたのだろう。当時の記事には、「古今東西の霊的な教えでは」といった趣旨の記述があります。しかし、魂が経験を重ねながら成熟すること、霊的世界に階層があること、似た意識状態の存在が集まること、意識が高くなるほど愛や智慧へ向かうこと、そして波動によって出会う人や現実まで変化することは、本当に古くから一つの教えとして語られてきたのでしょうか。

私にとって、魂や意識に階層があるという認識は、今回調べた思想や書籍から初めて得たものではありません。うまく説明することは難しいのですが、むしろ初めから知っている感覚に近いものがあります。その後、霊性に関するさまざまな本を読んだり、調べたりする中で、自分が認識しているものと似た説明に出会ってきました。しかし、以前の記事を書くとき、一つひとつの記述について「これはどの思想に由来するのか」「この説明はどこまで確認できるのか」を確かめていたわけではありません。それでも私の中では、それらはほとんど矛盾なく、一つの世界の仕組みとしてつながっていました。

そこで今回は、魂や意識に階層があるのかどうかを、外側の思想によって判定しようとしているわけではありません。以前の記事で一つの構造として説明していたものをいったんほどき、人間はこれまで霊的な階層や魂の成熟についてどのように考えてきたのか、そして私が使っていた「魂の成熟」「意識」「波動」「霊的領域」といった言葉が、それぞれどのような来歴を持っているのかを辿ってみることにしました。

 

「魂と意識の階層構造」をほどいてみる

調べ始めて最初にわかったのは、「霊的世界には階層がある」という発想そのものには、想像していた以上に長い歴史があるということでした。古代末期のネオプラトニズムでは、一者、知性、魂というように、存在が階層的な構造として捉えられています。プロティノスの思想では、すべての根源である「一者」があり、そこから知性、魂へと存在の構造が展開していきます。ここで重要なのは、単に上と下があるということではなく、物質的な世界よりも知性や魂が存在論的に先行し、そのさらに根源に一者が置かれていることです。

キリスト教思想にも、霊的存在の位階という考えがあります。5世紀末から6世紀初頭頃に活動したと考えられている偽ディオニュシオス・アレオパギテスは、天使の世界を階層的に体系化しました。後世には、セラフィム、ケルビム、座天使などからなる九つの天使位階として知られるようになります。また、中世から近世の西洋では、神、天使、人間、動物、植物、無生物といった存在を連続した秩序の中に位置づける、後に「存在の大いなる連鎖」と呼ばれる世界像も論じられてきました。

こうして見ると、「目に見える世界の背後には異なる存在の段階があり、それらが一つの秩序を形成している」という発想そのものは、近年のスピリチュアル思想によって突然生まれたものではありません。しかし、ここで早くも、以前の記事では十分に区別していなかった問題が見えてきます。

ネオプラトニズムにおける存在の階層も、キリスト教における天使の位階も、「未熟な人間の魂が経験を重ねながら成熟し、より高い魂になっていく」という話ではありません。宇宙や存在そのものに異なる段階があるということと、一人ひとりの魂に成熟度があり、その魂が時間の中で成長していくことは、本来別の問題です。以前の記事では、この二つをほとんど区別せず、「霊的世界には階層がある」という話と、「魂には成熟の段階がある」という話を、同じ一本の縦軸の中で捉えていました。

では、「魂そのものが経験を通して進歩する」という考えは、どこにあるのでしょうか。

 

以前の記事と驚くほど近かったカルデックの霊界観

この点を辿っていくと、19世紀のフランスでアラン・カルデックが体系化したスピリティズムに、以前の記事とかなり近い構造が見つかりました。カルデックが1857年に刊行した『霊の書』について確認すると、霊には浄化や完成の程度に応じた違いがあり、その段階には固定された境界線があるのではなく、さまざまな程度が連続的に存在すると説明されています。

カルデックの体系では、大きく三つの段階が示され、最も高いところには完成に達した純粋な霊、中間には善を志向する霊、低いところには無知やさまざまな情念に妨げられている不完全な霊が置かれます。ただし、低い段階にいる霊が永遠にそこへ固定されているわけではありません。霊は経験を通して進歩し、より高い状態へ向かっていくというのが、その体系の基本的な構造です。

ここには、以前の記事に書いた内容との近さがあります。私は、魂には成熟度があり、成熟の途中にある魂ほど恐れや怒り、執着などの影響を受けやすく、成熟するにつれて愛や智慧、慈悲へ向かっていくという説明をしていました。カルデックの体系と私の認識が同じということではありませんが、「霊には進歩の程度がある」「その違いは善や智慧などの性質にも現れる」という基本構造には、明らかな共通点があります。

さらにカルデックの体系を確認していくと、以前の記事と重なるところはそれだけではありません。より進歩した霊が、まだ進歩の途中にある霊を助けるという関係が語られます。また、地上における社会的な地位と霊的な位置は一致しません。この世界で権力や富を持っていることが、そのまま霊としての進歩を意味するわけではなく、社会的な序列と霊的な序列は別のものとして扱われています。

私は以前の記事でも、社会における地位や能力の上下と、魂の成熟度は別のものだと書いていました。当時、カルデックを直接参照してこの文章を書いたわけではありません。それでも、かなり近い構造がそこにあります。

さらに興味深かったのは、霊的世界における移動や関係についての記述です。カルデックの体系では、より進歩した霊は、自分より低い段階にある世界へ赴き、そこで進歩の途中にある存在を助けることができます。一方、まだその状態に達していない霊が、自分より高い世界にそのまま属することはできないとされます。

私は以前の記事で、高い意識領域にいる存在は、自らの波動を下げることで低い領域へ関わることができるが、その逆は難しいという趣旨のことを書いていました。「波動を下げる」という表現までカルデックと同じではありません。しかし、「高い側から低い側へは働きかけられるが、低い側から高い側へは同じようにはいかない」という非対称な構造そのものには、かなり近い先例がありました。

調べる前、私はこの部分について、現代のスピリチュアルな世界で漠然と共有されている考えを、自分なりに文章化していた程度ではないかとも考えていました。ところが実際には、19世紀の体系の中に、予想していた以上に具体的な形で存在していました。

 

「似た状態の存在同士が集まる」という考え

以前の記事には、もう一つ重要な考えがありました。霊的な世界では、似た意識や波動を持つ存在同士が自然に集まり、意識状態が大きく離れた存在同士は交流しにくいというものです。

この部分を辿ると、カルデックより前の18世紀に生きたエマヌエル・スウェーデンボルグの霊界観に、非常に近い構造が見つかります。

スウェーデンボルグの『天界と地獄』に示されている霊界観を確認すると、霊的世界における「距離」は、私たちが生きている物理的世界の距離とは異なり、存在者の内的状態に対応するものとして説明されています。内的状態が似ているほど互いに近くなり、異なるほど遠くなる。天界の共同体も、愛や内的状態の類似によって形成されるとされています。

つまり、霊的世界では物理的な場所が先にあって、そこへ存在が移動するというよりも、内的状態の違いが、そのまま近さや遠さとして現れるという世界像です。似た状態にある存在は近くなり、状態が大きく異なれば離れていく。この構造には、以前の記事とのかなり強い重なりがあります。

私は「似た意識や波動を持つ存在同士が共鳴する」と書いていました。スウェーデンボルグが現代的な意味での「波動」を説明しているわけではありません。しかし、内的状態の類似によって霊的世界における近さや共同体が決まるという構造は、以前の記事で私が描いていた霊界像にかなり近いものです。

さらにスウェーデンボルグでは、天界そのものにも複数の段階があります。霊的世界全体が均質な一つの場所なのではなく、異なる内的状態に対応する秩序を持っている。カルデックにおける「霊の進歩」と、スウェーデンボルグにおける「内的状態に応じた霊界の秩序」は同じものではありませんが、両者を並べてみると、以前の記事に書いた「魂の成熟度によって属する霊的領域が異なり、近い状態の存在同士が集まる」という世界像が、複数の異なる考えと重なっていることがわかります。

ここまで調べた段階で、私にとって意外だったのは、以前の記事が単なる思いつきではなかったことでした。出典を確認して書いたわけではないにもかかわらず、「霊には進歩の違いがある」「似た内的状態の存在が集まる」「より進歩した存在が低い段階の存在を助ける」という骨格については、それぞれにかなり近い先行思想が存在していました。

しかし、同時に別の問題も見えてきました。私はそれらを、すべて同じ一つの仕組みとして書いていました。ところが実際には、カルデックの「霊の進歩」と、スウェーデンボルグの「状態に応じた霊的距離」は、別の体系の中で語られているものです。似ていることと、同じであることは違います。

 

「魂が成長する」という考えは、本当に古今東西に共通しているのか

ここで、以前の記事に書いた「古今東西の霊的な教え」という表現を、さらに確かめる必要が出てきました。

転生や複数の存在領域という話だけを見れば、インドの宗教思想や仏教にも長い歴史があります。しかし、だからといって、それらをそのまま「一つの魂が転生を重ね、経験を積みながら成熟していく」という世界像と同じものとして扱うことはできません。

仏教では、さまざまな生存領域への再生が語られます。欲界、色界、無色界といった世界観もあります。しかし、仏教には無我という重要な教えがあり、永続する一つの魂が存在し、それが人生から人生へ移動しながら成熟していくという説明を、そのまま仏教へ当てはめることはできません。また、天界のような高い領域へ生まれることが、そのまま最終的な解放を意味するわけでもありません。高い天界であっても、輪廻の中にある限りは解脱そのものではありません。

インド思想についても同様です。アートマンや輪廻を認める思想は存在しますが、インド思想全体を一つにまとめることはできません。とりわけ解脱という問題を考えると、「魂が経験を積みながら少しずつ上位の存在になっていく」という発達モデルだけでは捉えられないものがあります。たとえば不二一元論では、最終的な問題は個別的な魂を無限に成長させることというより、アートマンとブラフマンの非二元性を知ることにあります。

つまり、転生があることと、魂の成熟段階があることは同じではありません。複数の霊的領域があることと、それらが魂の成熟度によって上下に並んでいることも同じではありません。

以前の記事では、こうした違いをほとんど扱わず、「古今東西の霊的な教えでは、魂は経験を重ねながら成長していく」という大きな一文の中にまとめていました。この部分については、現在の私から見ると明らかに言いすぎていました。

ただし、ここで話が終わるわけではありません。「魂が転生を通して進歩していく」という世界像そのものは、近代になるとかなり明確な形で現れてくるからです。

 

固定された「階層」から、進んでいく「階層」へ

今回調べていて重要だったのは、単に「昔から階層思想があった」と確認することではありませんでした。むしろ興味深かったのは、階層というものの意味そのものが、時代や思想によって異なっていることでした。

古代や中世の階層的な宇宙観では、神、知性、魂、天使、人間など、それぞれの思想に応じて存在が異なる位置を占める構造が中心にあります。そこでは、主として宇宙や存在そのものの秩序が問題になっています。

ところが近代の霊的思想では、そこへ「進歩」や「進化」という時間的な方向が強く現れるようになります。カルデックのスピリティズムでは、霊は異なる段階にあるだけではなく、経験を通して進歩していきます。19世紀後半に成立した神智学では、この構造がさらに大きな宇宙的進化の物語として体系化され、転生も霊的存在が長い時間をかけて経験を重ねる過程として位置づけられていきました。

神智学について確認すると、西洋の秘教思想や当時の心霊主義だけでなく、インド宗教や仏教から取り入れられた概念、そして当時広く用いられるようになっていた進化や発展という考えが、大きな宇宙論の中で組み直されていったことがわかります。後の神智学では、物質界だけでなく、アストラル界、メンタル界など複数の存在領域が体系的に語られるようになり、アニー・ベサントとC・W・リードビーターによる『Thought-Forms』などでは、思考や感情と振動を結びつける説明も現れます。

ここまで来ると、以前の記事に登場していたいくつかの概念が、かなり近い場所へ集まってきます。魂は転生を重ねながら進歩する。物質世界以外にも異なる領域が存在する。思考や感情にも霊的・微細な作用がある。ただし、これらは「古代から世界中で同じように語られてきた一つの教え」ではありません。異なる地域や時代から来た思想が、近代の霊的思想の中で再解釈され、組み直されていったものです。そして、この近代的な混成は、20世紀に入ってさらに広がっていきます。

 

「波動」と「現実」がつながっていく

以前の記事には、霊界についての説明だけではなく、現実世界についての説明もありました。意識の状態が変化すると、関わる人が変わり、起きる出来事が変わり、経験する現実そのものが変わっていくという考えです。

ここは、カルデックやスウェーデンボルグだけでは十分に説明できません。スウェーデンボルグが語ったのは、霊的世界において内的状態の類似が近さとして現れるということです。それをそのまま「この世界でも、波動が似た人や出来事を引き寄せる」と読み替えることはできません。

この方向を辿ると、ニューソートと呼ばれる別の流れが見えてきます。20世紀初頭、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソンは『Thought Vibration or the Law of Attraction in the Thought World』で、思考と振動を結びつけ、「似たものが似たものを引き寄せる」という考えを展開しています。ここでは、霊的世界において似た状態の存在が集まるという話からさらに進み、人間の思考や精神状態と、出会う人や環境、経験する状況との関係が語られるようになります。

ただし、私が「波動」という言葉を使う理由を、こうした思想の影響だけで説明することはできません。私は人のエネルギーを感じ取ることができ、当サイトでも「波動」という言葉を、そのエネルギーの状態を表すものとして使ってきました。これは、今回ニューソートや神智学を調べたことで初めて得た認識ではありません。

その一方で、以前の記事では、私が感じ取っている人のエネルギー、霊的世界における存在の状態、そして意識によって現実が変化するという話が、「波動」という一つの言葉によって自然につながっていました。今回調べてみると、思想の歴史の中でも「振動」や「波動」に近い言葉は複数の文脈で使われていますが、それぞれがまったく同じことを意味しているわけではありません。

ここでも問題になるのは、波動があるかどうかではなく、異なる現象を「波動」という一つの言葉で説明したときに、それらまで一つの仕組みとして扱ってよいのかということです。以前の記事では、その区別が十分ではありませんでした。

 

「魂の年齢」という、さらに近い考え

今回調べた中には、以前の記事の「魂の成熟度」という表現に、さらに直接的に近い現代の体系もありました。マイケル・ティーチング(Michael Teachings)は、1970年代以降に広がったチャネリング系の霊的思想の一つで、「マイケル」と呼ばれる集合的な霊的存在から伝えられたとされる教えをもとに形成されています。その中には、ソウル・エイジ(Soul Age)と呼ばれる考えがあります。

ソウル・エイジでは、魂が複数の人生を経験しながら発達し、Infant、Baby、Young、Mature、Oldと呼ばれる段階を進んでいくと説明されます。単に何回生まれ変わったかという回数だけではなく、経験を通して魂がどのように発達しているかが問題とされ、それぞれの段階によって、自分自身や世界をどのように捉えるかにも違いがあるとされています。

これは、以前の記事で私が使った「魂の成熟度」という表現とかなり近いものです。さらに、この体系では、魂の段階の違いを、そのまま人間としての価値の優劣として扱わないという説明もなされています。ただし、マイケル・ティーチングは、チャネリングをもとに形成された現代の霊的体系です。ここで重要なのは、これを根拠として私自身の認識を証明することではありません。私が以前書いていたものに非常に近い世界像が、別の霊的体系にも存在しているということです。

 

そして、私自身が長く触れてきた「意識のマップ」

ここまでの流れとは別に、以前の記事を読み返したとき、私自身が長く触れてきたデヴィッド・R・ホーキンズの影響を考えないわけにはいきません。

ホーキンズの「意識のマップ」では、人間の意識が一つの尺度の上に配置されます。羞恥、罪悪感、無気力、悲嘆、恐れ、欲望、怒り、プライド、勇気、理性、愛、喜び、平和などが異なる意識レベルとして位置づけられ、低い状態から高い状態へ向かう構造が示されています。

以前の記事で私は、成熟の途中にある意識を、恐れ、怒り、執着、自己中心性などと結びつけ、より成熟した意識を、愛、智慧、慈悲、静けさなどと結びつけていました。この並び方には、ホーキンズの世界観との近さがあります。また私は、「高い・低い」という言葉は、人間としての価値の優劣を意味するものではないと書いていました。この点にも重なるところがあります。

ただし、ここでも以前の私が十分に区別していなかったものがあります。ホーキンズが語っているのは「意識のレベル」です。カルデックが語っているのは「霊の進歩」です。マイケル・ティーチングが語るのは「魂の年齢」です。スウェーデンボルグが語るのは「内的状態に対応した霊界の秩序」です。これらには似ているところがありますが、同じ概念ではありません。

また、ホーキンズ自身はキネシオロジーによる測定を根拠として意識レベルを提示していますが、現在の心理学や意識研究において、「意識のマップ」が確立された科学的尺度として認められているわけではありません。私自身がホーキンズの著作や意識のマップをどのように受け取ってきたかということと、そのモデルが現在の科学によってどこまで確認されているのかは、別に扱う必要があります。

 

調べてみると、「一つの教え」は存在しなかった

ここまで辿ったところで、以前の記事について一つのことが明確になりました。私は当時、「魂と意識の階層構造」という一つの世界像を書いていました。しかし、その中に含まれていたものを分解してみると、存在そのものに階層があるという考え、霊には進歩の程度があるという考え、魂が転生を通して成長するという考え、霊的世界では似た内的状態の存在が集まるという考え、より進歩した存在が進歩の途中にある存在を助けるという考え、思考や感情と振動を結びつける考え、似たものが引き合うという考え、人間の意識には異なる段階があるという考え、魂には発達段階があり、それによって世界の捉え方も異なるという考えが重なっています。

以前の記事では、それらをほぼ一本の縦軸として扱っていました。魂が成熟すると意識が高くなる。意識が高くなると波動が高くなる。波動が高くなると属する霊的領域が変わる。世界の見え方が変わり、出会う人が変わり、経験する現実まで変わっていく。当時の私の中では、この一連の流れは自然につながっていました。

しかし、調べ直してみると、それぞれの概念は異なる場所で、異なる意味を持って語られてきたことがわかります。だから、「古今東西の霊的な教えでは、魂と意識にはこのような階層構造があると考えられてきた」と一つにまとめてしまうことはできません。この点については、以前の記事を訂正する必要があります。

 

けれども、「私が勝手に混ぜた」だけでもなかった

ここまでなら、「私はいろいろな霊的思想を混同して、一つの世界像をつくっていた」と結論づけることもできます。しかし、歴史をもう少し辿ってみると、それだけでは説明できないことが見えてきます。

私がそれらの思想に触れるよりもはるか以前から、近現代の霊的思想そのものが、異なる思想を取り込み、組み合わせながら形成されてきたからです。古代から中世には、存在そのものを垂直的な秩序として捉える思想がありました。18世紀のスウェーデンボルグには、内的状態によって構成される霊的世界の秩序があります。19世紀のカルデックでは、霊が経験を通して進歩するという考えが明確になります。

その後、神智学では、西洋の秘教思想、心霊主義、インド宗教や仏教から取り入れられた概念、進化や発展という考えなどが大きな宇宙論の中で再構成されていきました。一方、ニューソートには独自の成立過程があり、神智学から単純に派生したものではありませんが、19世紀末から20世紀初頭の西洋では、心霊主義、オカルティズム、神智学、ニューソートなどが並行して存在し、互いに重なり合う語彙も広がっていきます。その後のニューエイジやチャネリング文化では、転生、魂の進化、高次の世界、波動、高次存在、意識の上昇、引き寄せといった概念が、同じ霊的世界像の中で語られることも珍しくなくなりました。

つまり、以前の記事の中で異なる思想が混ざっていたことは確かです。しかし、その混合は、私の頭の中で初めて起きたわけではありません。私が霊性について学び始めたときには、すでに現代のスピリチュアルな世界そのものが、長い時間をかけて交差してきた概念を受け継いでいました。

ただし、だから私の認識がそれらの思想によってつくられた、と考えるのも違います。私自身には、魂や意識に階層があることを、初めから知っているような感覚があります。その後に出会った思想や書籍は、その認識を生み出したものというより、自分が認識しているものと似た説明が、他の時代や他の人間にも存在していたことを知る機会になったものも少なくありません。

今回見えてきたのは、「私はどの思想からこの世界観を借りたのか」という単純な来歴ではありませんでした。自分の中に先にある認識と、人間が長い時間をかけて残してきたさまざまな霊的説明とが、どこで重なり、どこで異なっているのか。その方が、今回調べて見えてきたものに近いと思います。

 

「高い」と「低い」は、本当に一つの軸なのか

ここまで来ると、以前の記事のもう一つの問題も見えてきます。私は「魂が高い」「意識が高い」「波動が高い」「高次の霊的領域」といった言葉を、ほぼ同じ方向を指すものとして使っていました。しかし、あらためて分けてみると、それぞれが意味しているものは違います。

魂の成熟という言葉は、長い時間を通したスピリットの展開を意味します。意識状態は、その存在がどのような認識や状態にあるのかという問題です。私が波動と呼んでいるものは、人から感じ取るエネルギーの状態と関係しています。霊的領域の高低は、存在している領域そのものの違いを指しています。これらに関係がないと言いたいのではありません。私自身は、関係があると捉えています。ただし、「関係がある」ということと、「すべてがまったく同じ一本の尺度で測れる」ということは同じではありません。

この区別は、最近「なぜスピリットは経験するのか|成長・覚醒・神への帰還という前提を疑う」という記事を書いたときにも、別の角度から考えていました。そこでは、経験によって意識が展開し、その変化を霊的な進歩と呼ぶことはできる一方で、すべてのスピリットが同じ経験を、同じ順番で通過し、一本の階段を同じ目的地へ向かって上っていくと考える必要はないのではないか、と書いています。

これは、魂や意識に階層があるという認識と矛盾するものではありません。階層があることと、すべての存在を一つの物差しに並べられることは別だからです。異なる領域がある。意識の状態にも違いがある。経験によって意識は展開する。スピリットにも経験の違いがある。しかし、それを「全員が同じ階段の一段目から百段目までを順番に上っている」と説明する必要があるかどうかは、また別の問題です。

以前の記事では、この違いまで考えず、さまざまな意味での「高い/低い」を一つの構造として書いていました。現在は、階層そのものを否定するのではなく、その階層がどのような構造をしているのかを、以前より慎重に見ています。

 

「高い・低いは優劣ではない」と書けば、それで済むのか

以前の記事で私は、「魂の成熟度には違いがある」と書く一方で、それは人間としての価値の優劣ではないと説明していました。当時の意図は、今でも変わりません。経験していることや意識の状態に違いがあるからといって、一方の存在価値が高く、もう一方の存在価値が低いことにはなりません。今回確認した霊的体系の中にも、段階の違いと人間的な価値の優劣を単純に同一視しないものがあります。

ただ、現在の私から見ると、もう一つ注意すべきことがあります。階層があることと、私たちが他者の位置を正確に判定できることも同じではありません。怒っている人を見て、その人の魂が未熟だと判断する。恐れの中にいる人を見て、意識が低い人だと決める。自分の話が相手に理解されなかったとき、「相手の意識レベルでは理解できない」と説明する。こうした使い方をすれば、魂や意識の階層という考えは、簡単に他者を分類する道具になります。

しかし、私たちが目の前の人について見ているものは、その存在全体ではありません。現在の言葉や行動、感情、その人が置かれている状況など、限られた部分です。ある瞬間に怒りを経験していることと、そのスピリット全体の成熟度は同じではありません。また、自分が相手を理解できない、あるいは相手が自分を理解しないという事実だけから、どちらが霊的に高いのかを判断することもできません。

以前の記事でも、階層という考えを優越感のために使ってはいけないと書いていましたが、問題は優越感を持つかどうかだけではありません。そもそも、私たちが他者のスピリットをどこまで知ることができるのかという問題があります。階層があるという認識を持つことと、目の前の人を自分の判断でその階層へ配置することは、分けておく必要があります。

 

では、「わかり合えない」という現象はどう考えるのか

ここで、以前の記事のもう一つの主題だった「なぜ同じ世界を見ていてもわかり合えないのか」という問いへ戻ります。人によって、同じ出来事の見え方がまったく違うことはあります。ある人には脅威に見える出来事が、別の人には機会に見える。同じ言葉を聞いても、そこから受け取る意味が違う。同じ社会を生きていても、何を重要だと思うか、何を恐れるか、何を美しいと思うかは大きく異なります。

私は現在も、意識の違いによって見えている世界が異なることはあると考えています。ただし、「わかり合えない」という現象のすべてを、魂の階層だけで説明する必要はありません。人間として生きている以上、それまでの経験、知識、文化、価値観、感情、置かれている状況によっても、同じ出来事の受け取り方は変わります。価値観や生活環境が変われば、付き合う人が変わることもあります。自分自身が変化した結果、それまで自然に成立していた人間関係が成立しなくなることもあるでしょう。

これらは、霊的な階層という説明を使わなくても理解できる部分です。しかし、それによって霊的な違いまで存在しないことになるわけではありません。人間として形成された違いと、スピリットとしての違いが、実際の関係の中では重なって現れている可能性もあります。

以前の記事では、「わかり合えない」という現象から魂の成熟度へかなり直接的に進んでいました。現在は、その間に複数の層があることを見ています。社会的に形成された違いなのか、個人の経験による違いなのか、その時点での感情状態なのか、意識そのものの違いなのか、さらにその奥にスピリットとしての違いがあるのか。一つの出来事だけを見て、それらを簡単に切り分けることはできません。

 

科学で扱えるものと、霊的な問いは同じではない

人によって同じ出来事の受け取り方が異なることや、経験によって認識が変化することについては、心理学や認知科学などから説明できる部分があります。しかし、それによって魂の成熟や霊的世界の階層そのものまで説明できるわけではありません。現在の科学には、魂が存在するのか、転生を通してスピリットがどのように変化するのか、死後の世界に異なる領域が存在するのか、霊的存在同士の状態に応じた親和性があるのかといった問いを、確立された方法によって判定できる状態にはありません。

だから、科学によって確認されていないことを理由に、魂や霊的世界を存在しないものとして扱う必要はありません。一方で、私自身の認識や霊的思想の中で語られてきたことを、そのまま科学によって確認された事実として書く必要もありません。自分が経験していること、自分が認識していること、人間が過去にどのように説明してきたこと、現在確認できること。それぞれを、そのままの位置に置いてみることが必要なのだと思います。

 

では、以前の記事は間違っていたのか

ここまで調べたうえで以前の記事を読み返すと、明確に修正した方がよいところがあります。「古今東西の霊的な教えでは」と一括りにしたことは正確ではありませんでした。存在の階層、魂の成熟、霊の進歩、意識レベル、波動、霊的領域を、ほぼ一つの構造として扱ったことも、現在の私から見ると区別が不足しています。また、人によって世界の見え方が異なるという現象から、魂の成熟度の違いへ直接進んだ部分にも、説明を補う必要があります。

しかし、それは「魂や意識に階層がある」という認識そのものを撤回することとは違います。私には、階層はあります。それは今回カルデックやスウェーデンボルグを調べたからそう考えるようになったわけでも、ホーキンズの意識のマップによって初めて知ったものでもありません。私自身の中では、それ以前から知っている感覚に近いものです。

今回調べたことで変わったのは、その認識ではなく、その認識を説明するときに私が使っていた言葉の捉え方です。魂の成熟、意識の高さ、波動、霊的領域、共鳴、現実の変化。以前は、これらを一つの世界の仕組みとして、ほとんど切れ目なく説明していました。今回それぞれの来歴を辿ってみると、似た構造はさまざまな思想の中に存在していましたが、それぞれは異なることを説明するために使われてきた言葉でもありました。

だから現在の私が以前の記事に加えるべきなのは、「階層はなかった」という訂正ではありません。階層について、以前よりも区別して書くことです。

 

自分が知っていることと、それを説明する言葉

今回、以前の記事を調べ直していて見えてきたのは、自分の認識そのものと、それを説明するために使っている言葉は、必ずしも同じものではないということでした。何かを感じる。何かを知っている。何かがそうであると認識している。それを他者へ伝えようとした瞬間、私たちは言葉を使います。そして、その言葉にはすでに、人間が長い時間をかけて与えてきた意味があります。

「魂」「意識」「波動」「高次」「成長」といった言葉もそうです。それらを使うことで、自分が認識しているものを説明できるようになる一方で、それぞれの言葉が過去から背負ってきた意味まで、一緒に文章の中へ入り込むことがあります。以前の記事では、私の中にある認識と、それを説明するために使った言葉がかなり近いところにありました。そのため、「魂の成熟」「意識の高さ」「波動の高さ」「霊的領域の高さ」が、ほとんど一つのものとして文章の中に現れていました。

今回それらを一度ほどいてみても、自分の認識そのものが消えたわけではありません。魂や意識には階層がある。経験によって意識は展開する。スピリットによって経験しているものは異なる。霊的世界にも異なる領域がある。人のエネルギーにも違いがある。これらについての私自身の認識は残っています。

一方で、それらがどのような関係にあり、どこまでを同じ「高い/低い」という軸で説明できるのかについては、以前よりも区別して考えるようになりました。自分の中にある認識と、その認識を人間の言葉によって説明したものを、同じものとして扱わない。その違いが、今回あらためて以前の記事を調べたことで見えてきたものの一つです。

 

階層があることと、一本の階段があることは同じではない

ここまで一つひとつを分けて見てくると、私が以前「階層」と呼んでいたものについても、少し違った見え方がしてきます。階層という言葉からは、すべての存在が一つの尺度の上に並び、下から上へと順番に進んでいく構造を想像しやすくなります。しかし、階層があるということは、必ずしもそのような一本の階段があることを意味しません。

たとえば今回辿ってきた思想だけを見ても、存在そのものの秩序を表す階層と、霊の進歩を表す段階、内的状態に応じた霊的領域、意識の状態を表す尺度は、それぞれ異なるものでした。それらには重なるところがありますが、同じ構造を別の言葉で呼んでいるわけではありません。

私自身も、魂や意識には階層があると認識しています。ただ、その認識を「すべてのスピリットが同じ道を、同じ順番で、同じ方向へ進んでいる」とまで説明する必要があるのかについては、以前より慎重になっています。異なる経験をしていること、意識の展開に違いがあること、存在している霊的領域に違いがあること。それらの違いがあるとしても、すべてを一つの物差しの上へ並べなければならないとは限らないからです。

以前の記事では、階層があるという認識と、その階層がどのような構造をしているのかという説明を、ほとんど分けていませんでした。今回あらためて見えてきたのは、この二つは分けておいた方がよいということです。私の中で変わったのは、階層があるという認識ではありません。その階層を、一本の単純な縦軸として説明しなくなったことです。

 

以前の記事を残す理由

だから、以前の記事を現在の認識に合わせて静かに書き換えてしまうのではなく、そのまま残しておこうと思います。以前の記事を書いた時点で、私はそのように世界を見ていました。それは嘘ではありません。そして今回、その文章を読み返したことで、「私は何を根拠にこれを書いたのだろう」という問いが生まれました。

そこから調べてみると、自分が書いていたものにかなり近い思想が、思っていた以上に多く存在していました。同時に、それらは古今東西で一つの教えとして語られてきたものではなく、異なる思想や宗教の中で異なる意味を持っていたこともわかりました。さらに、近現代のスピリチュアル思想そのものが、それらの異なる流れを長い時間をかけて組み合わせてきたことも見えてきました。

そして、それを知ったあとにも、私自身の認識は残っています。魂や意識には階層がある。ただし、それを説明するために使ってきた言葉については、以前よりも区別して考えるようになりました。これは、以前の自分を否定して現在の自分へ置き換えることとは少し違います。

以前は一つに見えていたものを、一度ほどいてみる。すると、自分が認識しているものと、人間が長い歴史の中でそれを説明するために使ってきた言葉や思想との関係が、以前よりもはっきり見えてきます。説明をほどいたからといって、認識そのものまで消えるわけではありません。

私にとって、魂や意識に階層があるという認識は残っています。

今回あらためて見えたのは、その階層について自分が知っていることと、それを説明するために使ってきた言葉は、必ずしも同じものではなかったということです。

 

参考資料


Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Plotinus” https://plato.stanford.edu/entries/plotinus/
Pseudo-Dionysius the Areopagite, The Celestial Hierarchy, Christian Classics Ethereal Library https://ccel.org/ccel/dionysius/celestial/celestial
Allan Kardec, The Spirits’ Book, KardecPedia https://www.kardecpedia.com.br/en/study-guide/2/the-spirits-book/68/book-two-the-spirit-world/chapter-i-spirits
Emanuel Swedenborg, Heaven and Hell, Swedenborg Foundation https://swedenborg.com/emanuel-swedenborg/writings/short-excerpts-and-downloads/communities-heaven/
Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Mind in Indian Buddhist Philosophy” https://plato.stanford.edu/entries/mind-indian-buddhism/
Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Śaṅkara” https://plato.stanford.edu/entries/shankara/
Julie Chajes, Recycled Lives: A History of Reincarnation in Blavatsky’s Theosophy, Oxford University Press, 2019 https://academic.oup.com/book/7098
Annie Besant & C. W. Leadbeater, Thought-Forms, 1905 https://theosophy.world/books/cw-leadbeater/thought-forms-beasant-and-cw-leadbeater
William Walker Atkinson, Thought Vibration or the Law of Attraction in the Thought World https://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupid?key=olbp53874
Michael Teachings, “Soul Age Summary” https://www.michaelteachings.com/soul_age_summary.html
David R. Hawkins, Map of Consciousness®, Veritas Publishing / The Institute for Spiritual Research https://veritaspub.com/map-of-consciousness/

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