
揺れている、そのままで
私たちは、揺れない自分を目指しています。
考えは一貫していたほうがいい。
感情は安定していたほうがいい。
昨日と言っていることが違えば、「軸がない」と言われることもあります。
いつしか私たちは、揺れないことを成熟だと思うようになりました。
けれど、生きているものは、本当に揺れないのでしょうか。
呼吸は満ちては引きます。
心臓は収縮と拡張を繰り返します。
波は寄せては返し、風は止むことなく向きを変えます。
季節もまた、絶えず移り変わっています。
生命は、静止ではなく揺らぎのなかにあります。
それなのに、人だけが揺れないことを目指しているのだとしたら、不思議なことです。
朝には確かだと思っていたことが、夕方には少し違って見える。
昨日まで信じていた言葉が、今日はどこか遠く感じられる。
そうした変化を、私たちは「迷い」と呼びます。
けれど、それは本当に迷いなのでしょうか。
それとも、新しい景色を受け取ったことで、世界との関わり方が少し変わっただけなのでしょうか。
揺れは、崩れている証拠ではありません。
何かに触れ、何かを感じ、生きているからこそ生まれる動きです。
もし完全に揺れなくなったなら、そこには変化も、驚きも、出会いもなくなってしまうのかもしれません。
揺らぎは、不完全さではなく、生命の呼吸です。
だから今日は、揺れを止めようとは思いません。
ただ、その揺れのなかで、自分という存在がどんな景色に触れているのかを、静かに見つめていたいと思うのです。