
『1ST KISS』|ほどけゆく時間のなかで
部屋に残された、あるじを失った物たち。
昨日までそこにあったはずの体温が消え、静まり返った空間だけが残される。その光景を前にすると、人は「死」という出来事だけではなく、それまで過ごしてきた時間そのものを見つめ直し始めます。
映画『1ST KISS』を観ながら、私の中に残り続けたのは、タイムリープという仕掛けでも、切ない恋愛でもありませんでした。
人は、結末を知った瞬間、それまで生きてきた時間の意味まで書き換えてしまう。
その認識の働きでした。
結婚して十五年。
積み重ねられた日々には、喜びも、すれ違いも、沈黙もあります。
けれど事故という突然の結末を迎えた瞬間、それまでの十五年間は「失う物語」として見え始めます。
未来を知ることで、過去の景色まで変わってしまう。
そんな不思議な現象が、人間にはあります。
映画の中で彼女は、十五年前へ戻ります。
まだ何も知らない彼と出会い直し、未来を変えようとします。
その姿を見ながら思ったのは、人は未来を知るほど自由になるわけではないということでした。
むしろ未来を知ることで、今という時間を、ありのまま生きることが難しくなることがあります。
「この先に別れがある」
「この先に後悔がある」
そう知ってしまった瞬間から、現在は未来の影響を受け始めます。
まだ起きていない出来事が、今この瞬間の感じ方まで変えてしまうのです。
けれど、十五年前を生きていた二人は違いました。
未来を知りません。
だから笑い、迷い、ぶつかり、それでも日々を積み重ねていました。
その時間は、結末を知らなかったからこそ生きられていた時間でもあります。
私たちは、ときどき人生を結末で評価します。
成功したから意味があった。
失敗したから無駄だった。
続いたから幸せだった。
終わったから悲しかった。
けれど本当にそうなのでしょうか。
結末が訪れたあとで過去を振り返る私たちと、その時間を生きていた当時の私たちは、同じ景色を見てはいません。
人は未来を知ったあとで、過去に新しい意味を与えます。
その働きは、人間が物語を生きる存在であることを教えてくれます。
だからこそ、この映画を観終えたあと、私の中に残ったのは「今を大切にしよう」という言葉ではありませんでした。
もっと静かな違和感でした。
私たちは、本当にその時間を生きているのでしょうか。
それとも、まだ訪れていない未来や、すでに終わった過去によって、「今」という時間を絶えず書き換えながら生きているのでしょうか。
映画は、その問いに答えを与えません。
ただ、結末を知った人間が、時間というものをどのように見つめ直すのかを、静かに映し出していました。
その余韻の中で、私は物語以上に、人間という存在のほうを見つめていました。