
問題になる前に、すでに始まっている
違和感は、だいたい後回しにされます。
理由がはっきりしないからです。
はっきりしないものは、考えても仕方がないように感じます。
だから私たちは、もっとわかりやすい問題のほうを選びます。
数字、結果、評価。
目に見えるもののほうが、扱いやすいからです。
そちらに意識を向けているあいだ、違和感は少しだけ後ろに下がります。
完全に消えるわけではなく、ただ優先順位が下がるだけです。
なんとなく気にはなるけれど、今すぐ扱うほどではないもの。
そうやって、そのままにされます。
けれど、あとから振り返ると、最初に出ていたのはいつもそちらです。
なんとなく、少しだけズレている感覚。
それは説明もできず、誰かに話すほどでもないものです。
だからそのままにされます。
そしてある日、それは「問題」になります。
関係が噛み合わなくなったり、仕事がうまく進まなくなったり、理由のわからない疲れとして出てきたりします。
そのとき私たちは、「ここで何が起きたのか」を考え始めます。
けれど本当は、問題が生まれたのではありません。
見ないままにしていたものが、見えなくなったままではいられなくなっただけです。
違和感は、あとから理由をつけて理解されます。
けれど順番としては逆で、最初にあったのはいつも、言葉にならない感覚のほうです。
それは強く主張することはありません。
気づこうとしなければ、簡単に通り過ぎてしまう程度のものです。
それでも確かに、そこにあります。
そして、気づいたあとにだけ、「あれは最初からあった」とわかります。