
名前をつけない、そのままを
何かを感じると、私たちはすぐに名前を探します。
胸の奥に残るざわつきは「不安」。
理由のわからない重さは「ストレス」。
言葉を見つけた瞬間、それまで曖昧だったものが、少しだけ扱いやすくなります。
名前をつけることは、人間にとって大切な営みです。
それによって他者と共有できるようになり、自分でも理解しやすくなります。
社会は、名前を与えることで世界を整理してきました。
けれど、その働きを眺めていると、不思議なことがあります。
名前がついた途端、それまで感じていたものが、その名前の形へ少しずつ整えられていくことです。
「不安」と呼べば、不安として理解しようとします。
「疲れ」と呼べば、疲れとして受け止めます。
もちろん、それは間違いではありません。
けれど、その揺らぎは、本当に一つの言葉だけで表せるものだったのでしょうか。
そこには、新しいことが始まる前の緊張もあったかもしれません。
今いる場所への小さな違和感もあったかもしれません。
あるいは、身体が静かに季節の変化を受け取っていただけだったのかもしれません。
名前をつけることで見えるものがあります。
同じように、名前をつけたことで見えなくなるものもあります。
そのことが、ときどき気になります。
だから私は、急いで名前を探さない時間を持つことがあります。
「何かがある。」
そのくらいのままにしておく。
説明を急がず、意味も決めず、ただその感覚と少しだけ一緒に過ごしてみる。
すると、不思議なことに、最初につけようとしていた名前とは違う輪郭が、時間をかけてゆっくり現れてくることがあります。
人は、名前によって世界を理解しています。
だからこそ、ときには名前を少しだけ脇へ置いてみる。
そうすると、それまで言葉の後ろに隠れていた、そのもの自身の質感が、静かに姿を見せてくれるように思うのです。