
名前をつけない、そのままを
私たちは、何かを感じるとすぐに「名前」を探してしまいます。モヤモヤとしたものを「不安」と呼び、胸のつかえを「ストレス」と呼び、原因を探して、納得しようとします。名前をつけることは、安心することでもあります。正体のわからないものを、既存の枠組みに閉じ込めることで、扱いやすく、制御できるものに変えることができるからです。それは社会の中で効率的に自分を動かしていくための、ひとつの知恵でもありました。
けれど、名前をつけた瞬間に、こぼれ落ちてしまう質感があります。「不安」と名付けられたその揺らぎのなかには、本当は、新しい世界への期待や、今の場所への静かな違和感、あるいはただの身体的なリズムの変化が含まれていたかもしれません。ひとつの言葉にまとめてしまうことで、その繊細なグラデーションは見えなくなってしまいます。
まだ言葉にならない、小さな揺らぎ。
それを、無理に定義しようとせず、ただ「何かがある」という状態のままにしておいてみます。答えを急がず、正体を見極めようとせず、その震えをそのまま見つめる。それは、効率を求める意識にとっては、少し居心地の悪い時間かもしれません。
けれど、その定義できない余白のなかでこそ、何かが静かに息づき始める気がするのです。
問題として形を成す前の、かすかな兆し。名前を与えられなかったその揺らぎは、やがて内側で、ゆっくりと時間をかけて、自分にしかわからない輪郭を帯びていきます。その輪郭が何であるかを知る必要さえ、今はないのかもしれません。
ただ、その不揃いな震えとともに、ここにいる。そんな時間を、大切に守っていたいと思うのです。