Quiet Signals

日常の観察・問いの記録

空白を、埋めない

空白ができると、私たちは何かを始めたくなります。

スマートフォンを開く。

次の予定を考える。

誰かに連絡をする。

沈黙が続けば言葉を探し、予定が空けば何かを入れようとする。

何もない時間は、どこか落ち着きません。

私たちは、空白そのものを恐れているのでしょうか。

あるいは、その空白のなかで、自分自身と向き合うことを避けているのでしょうか。

情報が途切れると、外側の世界は静かになります。

けれどその静けさのなかでは、それまで聞こえなかった自分の内側が、少しずつ輪郭を持ち始めます。

理由のわからない焦り。

言葉にならない寂しさ。

置き去りにしてきた違和感。

空白は、それらを照らしてしまいます。

だから私たちは、埋めるのでしょう。

意味で。

予定で。

情報で。

けれど、ときどき思います。

埋めることだけが、生きることなのでしょうか。

窓から差し込む光を眺める時間。

会話が終わったあとの沈黙。

名前もつけずに通り過ぎていく感情。

そうした何も起きていないように見える時間にも、私たちの内側では、小さな変化が静かに続いています。

空白は、停止ではありません。

何かが生まれる前の、誰にも見えない時間です。

何も書かれていない白い紙にも、無限の可能性が宿っています。

空もまた、何もないから「空」なのではなく、すべてを受け入れる余地として広がっています。

私たちも同じなのかもしれません。

何かで満たされたときではなく、何も足さず、何も急がず、そのままそこにいることができたとき。

ようやく、自分という存在は静かに呼吸を始めます。

空白とは、埋めるためにあるものではありません。

私たちが、自分自身へと還っていくための、小さな入口なのだと思うのです。

関連記事