
暦の外で、息をする
私たちは、時間を生きているのでしょうか。
それとも、暦を生きているのでしょうか。
一年は一月一日から始まり、四月になると新しい年度が始まります。
季節は日付によって区切られ、節目が訪れるたびに、私たちは新しい気持ちになることを期待します。
いつしか、その区切りは「制度」ではなく、「現実」になっていきます。
けれど、自然は、その日に合わせて動いているのでしょうか。
ある朝、窓を開けると、名前のつかない風の湿り気を感じることがあります。
光の色が少しだけ変わったように思える日があります。
まだ暦の上では春ではなくても、身体は季節の気配を受け取っています。
反対に、春と呼ばれていても、どこか冬が残っているように感じる日もあります。
身体は、ときどき暦とは違う時間を生きています。
制度には制度の時間があります。
自然には自然の時間があります。
そして、人にもまた、その人だけの時間が流れています。
それらは、いつも同じ速さではありません。
けれど私たちは、そのずれを「自分がおかしい」と受け取ってしまうことがあります。
本当は、時間が一つではないだけなのかもしれません。
だから、ときどき暦から目を離してみます。
今日が何月何日かではなく、いま身体が何を感じているのかに耳を澄ませてみる。
予定ではなく、風。
日付ではなく、光。
情報ではなく、呼吸。
そうしていると、人は制度の時間だけで生きているのではないことに気づきます。
私たちは一枚の暦の上で暮らしています。
けれど、その内側では、それぞれ異なる時間が静かに流れているのでしょう。