
地点は、それぞれにある
うまくいかない感覚が、どこかに残っていることがあります。
言葉は届いているはずなのに、何かがずれている。
伝えているつもりでも、どこかで「力」がかかっている。
相手のためを思い、よくなってほしいと願うとき、私たちは無意識に言葉を整理し、説明を尽くし、少しでも前に進めるようにと心を砕きます。
けれど、その微かな力みが、相手にとっては「変えようとされる」動きとして伝わることがあります。
人には、それぞれの「いまの地点」があります。
- 外側の環境を整えたいと感じている人
- まだ言葉にならない違和感の渦中にいる人
- 静かにその場所に留まることを必要としている人
その地点に対して、別の場所を提示することはできます。
けれど、その地点を飛び越えさせることは、誰にもできません。
無理に動かそうとすれば、そこには静かな抵抗が生まれ、言葉の奥に得も言われぬ重みが残ります。
「変えようとしない」ということは、何もしないこととは違います。
ただ、その人がいま見ている世界の中で、整えたいと感じていることを、そのままに扱う。
そこに余計な意味を足さず、別の場所へ連れていこうとしない。
ただ、共にその地点に立つ。
それだけで、関係の質は静かに変化していきます。
肩の力が抜け、滞っていた流れが自然に動き出す。
「変える必要がある」と感じていたのは、もしかすると、向き合う側の内側にあった焦りや執着だったのかもしれません。
地点は、それぞれにあります。
そして、その地点もまた、絶え間ない流れの中にあります。
何かを起こそうと力まなくても、起きることは、起きるべき時に起きていきます。
その自然な理(ことわり)に委ねられたとき、私たちの手元からは、いつの間にか余計な荷物が滑り落ちているはずです。